高説が功するまで時間がかかるのは、それが実践的に功がないからである。 論が正しくても、まわりくどいのでは意味がない。 素直に正直にまず肝心要を大切にする、目先の命の現実をまず愚直に生きる、働き稼ぎ食べて片付ける、そのことに感謝する、先祖に感謝する。 難解な言葉ではなく、わかりやすい当たり前の行動に功がある。 そのうえの高説には律する凛としたものがある。 そこに愛想も軟弱さもない、背筋を伸ばし汗水を垂らして生き切る姿がある。 生きるか死ぬかの今しかない、目先の欲で良い。 そこに懸命でなければ、他にも懸命にはなれない。 なぜならそれは生きることの命のほとばしりだから。 そしてそれがあってこそ、高説の紙面に火がつき燃える。 その火が筆なら墨がつき伝わる。 自分に実践の功がなければ、他に功を伝えることもできない。
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恵まれる者が、羨み、憧れて、恋い焦がれることについて書いてみる。
恵まれる者が、羨み、憧れて、恋い焦がれることについて書いてみる。 まず、恵まれる中、感謝を知る者と知らない者がいる。 正しくは、知っていても忘れていく。 恵まれる中でもさらに優遇され優先され讃えられる者は、全ては自分の力だと思え、いっそう感謝を忘れる。 それがおかしいと自分では気づいている。 なぜみんな感謝できる? なぜ自分にはそれが湧かない? みんながうらやましい。 素直に感謝できることを羨み、憧れ、恋い焦がれ、懐かしむ。 かつては自分にあった、平安の心。 それは母性の懐。 そしていつも同じ疑問がある。 なぜ自分は恵まれ、なぜさらに自分だけその中でも優遇され優先され讃えられるのか? それはその立場にいるからにすぎない。 まずは先祖の努力の結果を土台にした自分の立場。 それから自分の特性、性格や性質として生まれたという立場。 どちらも今の自分の力ではない。 恵まれた富と裕福さの裏にある不自然さ、異常さ、それも一緒に受け取る。 それを受け取り、そこから目を覚ます。 そのあとに出てくる答えは、感謝すること。 そして、勤め上げること。 勤め上げることから逃れられる富や裕福さを求めるとき、人は道を踏み外す。 勤め上げた結果として、生きるための勤めから逃れられる力を得られたら、やはり踏み外す。 踏み外すとは、生き抜く糧に繋がらない勤め上げに没頭しても気づけなくなること。 そこには果てしない欲望の、不満という苦しみと、失うことへの恐怖がある。 それが押し寄せてもなお、はねのけ、道を踏み外さず、感謝できること。 まだ物心つかない子供の時のように、素朴で純真なとき。 素直な感謝。 恵まれていてもいなくても、人はそこを結局は求める。 目先の生かされている事実すべてに、感謝を実践を具体的にすることは、最後の最後で逆転して、そこへと戻ってこれる命綱となる。 踏み外さずにいれるし、踏み外してしまったとしても命綱はつながっている、生きている限り。
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相対的に対立させた話をするなら、両側に立つことができ、擁護と内省ができ、どちらの味方もせず、双方の手を繋がせなくてはならない。
相対的に対立させた話をするなら、両側に立つことができ、擁護と内省ができ、どちらの味方もせず、双方の手を繋がせなくてはならない。 つまり中間にいる必要がある。 そこで双方の繋がりを生むところにいるとき、そこに話をする意味、話で伝えるべき肝心要がある。 どちらの夢にも眠りこけて寄って酔ってはならない。
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自分の土俵のために戦う者は二種類。
自分の土俵のために戦う者は二種類。 低い自分の土俵に人を連れ込んで牛耳る者。 高い自分の土俵に人を連れ込んで牛耳る者。 土俵の高さ低さに優劣善悪はない。 人を連れ込み牛耳ること自体に劣悪さがある。 先生ぶらないことが大事。 謙虚であれば先生ぶることはない。 卑屈であれば常に裏で先生ぶる心を隠し持つ。
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理屈や道理を語っても、肝心なことを語らなければ、かんじんを煙にまくだけでしかない。
理屈や道理を語っても、肝心なことを語らなければ、かんじんを煙にまくだけでしかない。
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金銭を取って人を集めるところに真理はない。なぜならそれは対価を必要とする商売だから。
金銭を取って人を集めるところに真理はない。なぜならそれは対価を必要とする商売だから。 真理は商売にならない、なぜならすでにみんなのものだから、そこに対価の交換を必要としない。 真理をうたうと見せて金銭を取り人を集めるところには近づいてはならない。
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何かを欲しがる欲望は命として正常の証。
何かを欲しがる欲望は命として正常の証。 それを他人事のように弄ぶのはこの世に有難くも生かされる者として大切なことを欠かしている。 その言葉に命を生かす真の力はなく、人としての手本にもならない。
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仕事には二種類ある。
仕事には二種類ある。 与えてもらうか、与えるか。
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男は与えられ守られることを望むな。
男は与えられ守られることを望むな。 ただ与え、ただ守れ。 それを無くしたいかなる攻め手も意味はなく無駄に終わり、損失を生むことになる。
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ワンマンは周囲の他者や他部署からの補填や負担に気づけず、自分の力で永らえて発展のプラスを成したと誤解する。
ワンマンは周囲の他者や他部署からの補填や負担に気づけず、自分の力で永らえて発展のプラスを成したと誤解する。 大きな額になるほど、それは周囲の大きさに過ぎない。 ワンマンな経営者ほど長続きせず、自転車操業の焼畑農業となる。 そのためただでさえ個人単位で考える会社員や雇われ社長はワンマンになりやすく、そのため独立起業で失敗もしやすい。 自ら立ち仲間を守る経営者は周囲の補填や負担を知った上で、自分自身の城がどうすれば永らえ成長できるかを考える。 周囲の補填や負担に気づけないということは、周囲と力を合わせて生かし合い助け合うことにも気づけない。
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はじめは純粋にはじめる。しかし途中から欲が表面につきはじめる。やがて剥がれ落ち、また純粋になる。
はじめは純粋にはじめる。しかし途中から欲が表面につきはじめる。やがて剥がれ落ち、また純粋になる。 表面だけを見て不純さをする者は、自身の自我が邪魔して、対象の内なる純粋さを見ることができない。 だがそんな他者を批判する前に、表面の欲や不純を洗い落とすため、自問自答して変化し成長することが先決。 見られてしまう表面が汚れているから、そもそもそう見られても仕方がない。 だがそのときいつも内なる純粋を感じるなら、それを否定してはいけない。 いつもそれを良心として、他者の汚れの目を受け入れてはならない。
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向き不向きや特性は、人の心がどこへ向いているかで決まる。
向き不向きや特性は、人の心がどこへ向いているかで決まる。 だがそれが自我に向いていれば、それすらもわからず、無用なことにばかり力を奪われる。
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周囲の欠点や暗所ばかり指摘するひとは、その欠点や暗所にしか着目できない。
周囲の欠点や暗所ばかり指摘するひとは、その欠点や暗所にしか着目できない。 周囲を活用できない。 物事は周囲の力合わせや生かし合いで成功する。
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自分の知識や知恵を他者が受け入れないとしても、問題ない。
自分の知識や知恵を他者が受け入れないとしても、問題ない。 なぜならそれは自分だけの役職というとだから。 あとは役割の分担をしてゆけばいい。 ただし、優れた知恵や知識を広めて伝えることは怠らないこと。 そしてその役割もあると知ること。
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自分の理想、自分の主義、自分の感じ方、自分の力だけで頑張ろうとすると、うまくいかない。
自分の理想、自分の主義、自分の感じ方、自分の力だけで頑張ろうとすると、うまくいかない。 なぜならそれは必ず、一人分のタスクでしか考えられないから。 だから、他者を悪く言うことは避けなくてはならない。 他者の選択にある理、他の方法、新たな方法、自分以外の感覚にある理を尊重し、活用しなくてはならない。