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赦しは受け入れに、受け入れは理解につながる。

赦しは受け入れに、受け入れは理解につながる。 この流れがなければ、必ず否定や争いを選ぶことになる。 因果によって成される。 何故それが成されるかを理解する。 その理由が、その人にとって助けを求める困った声なら、助けようとする。 そうでないなら、なぜそうするかの理由があるのだろうと赦して受け入れ理解につながる流れを止めない。 流れを生み出すのは神、我々はその蛇口。 それは心次第で開閉する。



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ポジティブだと言う人ほどポジティブじゃない。

ポジティブだと言う人ほどポジティブじゃない。 勝ち気になって他者をたたくのはポジティブじゃない。 それらは後ろ向きだ。 逃げている方角が自分から見て前だから、楽だから、プラスに誤解できるに過ぎない。 自他共に良くなるには何をすればいいか、自分に不足していて変えるべき向上すべき点は何かを、淡々と見つめて、行動に移すことがポジティブ。




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真実の嘘とは、欲や終着が求めさせる心の声から来る本心に嘘をつき、信実の愛を本心に選ぶこと。

真実の嘘とは、欲や終着が求めさせる心の声から来る本心に嘘をつき、信実の愛を本心に選ぶこと。 二択であるところを、しかし人であるなら愛を一択と嘘をつくこと。 それは選択である。 愛や神すらもが言葉としては幻想であるが、それゆえに言葉なき永遠である。


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習慣、民族性、国民性、文化が人を世界で一番の人生に引き上げることはない。

習慣、民族性、国民性、文化が人を世界で一番の人生に引き上げることはない。 世界でいちばんの人生とは、すでに人ぞれぞれの中にある平安にあり、それを阻むものを反省し、各自の程度の知れた習慣や民族性や国民性や文化の小さな限界を知り、お互いが助け合うことにある。 そのうえで生まれた習慣、民族性、国民性、文化は、はじめて崇高なものとなる。


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必要なことだけなら情報は少ない。

必要なことだけなら情報は少ない。 しかし不要あるいは嘘の情報の中からそれを見つけ出すには、大量の情報を集めて、分析を行った後に、ようやく必要な少ない情報に絞り込むことができる。 まるで乾いた雑巾を絞り、一滴の水を取り出すように。 そこに水は存在しないと言う者は、泥水しか知らない無知と慢心と欲望の猛獣なのだが、これにに打ち勝つ必要がある。 しかし無知と慢心と欲望は重なってゆく。 これと戦い続ければ疲れ果てて人生は失われる。 これを重ねてゆく、人生を失うことに躊躇しない、愚か者が相手なのだから、終わりがない。 だからその争いをするかわりに心に手を当てて心を澄ませ、その気持ちに耳を貸せば、どこに見当をつけるべきか、わかる。 それは良心と呼ばれ、生きる感覚である。 愚か者との戦いに終わりはなく、そこに残ることが勝者なら、それは変わらずに愚か者である。 勝者ではなく敗者であろう。 その勝利にこだわる愚か者に引き込まれて負けん気を起こしてはならない。