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お金をものさしにすれば、お金が少なければ魂と良心も劣ると見る。

お金をものさしにすれば、お金が少なければ魂と良心も劣ると見る。 師という存在を絶対とすれば、その師のものさしにより、魂と良心で劣ると信じる。 自分のそれぞれの魂と良心がいつも絶対の一番。 それをお互いに敬うのが本当の師であり、それはそれぞれの内にある。






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相手がわかっていることを、わからなくさせて、自分の自我を植え付ける。

相手がわかっていることを、わからなくさせて、自分の自我を植え付ける。 これをわかりやすく言うと、足を引っ張ると言う。 人は弱者に合わせる慈愛と慈悲を持つ、それを、悪用する形になる。 謙虚と見せかけて支配する。 下と見せて上、上と見せて下と、せわしない。 そこに不動の心理はない。



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感謝とは、隠れていることへの気づきと、その具体的な行いである。

感謝とは、隠れていることへの気づきと、その具体的な行いである。 それを、難しい言葉や行いで避けるように遠回りするのは、そこに、気づきがなく、具体的な行いが取れていないからである。 真実とは単純明快で、誰にもわかりやすいものである。


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ひとつを一心不乱に信じるのなら、ほかの道を否定する必要はない。

ひとつを一心不乱に信じるのなら、ほかの道を否定する必要はない。 ほかの道を否定するなら、すでにそれは信心ではない。 自分の迷いを手放さない、自我にとどまりたい、そのために教えを利用しているに過ぎない。 困難さ、多さ、長さ、それを比べて勝ち誇る物差しとするのは、自我の行い。





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自分がわからないことを自分の間違いだとするのは、至らなさを認めないことのすり替えである。

自分がわからないことを自分の間違いだとするのは、至らなさを認めないことのすり替えである。 正しい間違い、合う合わない、向き不向き、ではない。 一番の痛手がそこにあるが、一番受け入れなくてはならないものでもある。 至らないのであれば、それは至らない、ただそれだけ。


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罪悪感に訴えるような指摘をする者は、相手がそこから反れる良心を我欲に利用する。

罪悪感に訴えるような指摘をする者は、相手がそこから反れる良心を我欲に利用する。 相手の神を信じず敬わず奪い、罪をかぶせることで相手のそれらの自信も奪い、相手の神への目を眩ませる。 そこから反れた先の場所で待ち構え、我が物にしようとする。 低い場所で浅い欲を集める場に引き込もうとする。 巧みに知恵と知識と経験といった我の力を振りかざし、追い立てる。 そのような、不徳や不道徳を指摘しての断罪を受け入れてはならない。 何故ならその者は、相手を不徳と扱い、不道徳と扱い、そのように貶めるから。 そのような価値観しか持たないのだから。 不干渉を尽くし、また、同じようなことをしてはならない。