自分を好きになることと、自分の力を慢心して他者を嫌うことは、全くの別物。
月別: 2018年12月
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お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。
お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。 すると若くて何でもない子が、それを学ばざるを得なくなり、まるで年寄りでお坊さんのような子になる。 これは物事の流れ、順序、成り立ちから言って、自然なことであり、特別なことではない。
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返す借金にお礼がなくて当たり前、自分から動かなければ返せないのも当たり前。
返す借金にお礼がなくて当たり前、自分から動かなければ返せないのも当たり前。
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物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。
物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。 そこには個人としての世界しかなく、強引さ、極端さにしかならない。 それは物事への成り立ちを与えない。 個人としての経験の後で正しさを身につけたとしても、その自我を手放す言動がなければ、手放す機会も生まれない。 そのような者を打ち負かそうとすれば、自分もその小さな戦いへと縮こまってゆく。 そのような者たちが世界に普遍的なものを広め流すことはない。 私たちは粛々と、良心のもと、謙虚さのもと、そのような偏りを手放して、任せて、最善を尽くせばいい。
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やさしくて強い人になるのは最高の修行。
やさしくて強い人になるのは最高の修行。
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お金を出すことは、損得ではない。それが世界にとって良い働きになるのかが大切。
お金を出すことは、損得ではない。それが世界にとって良い働きになるのかが大切。
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閉じた空間で話せば、知ることは少なく、知ることが少なければ、分かることも少ない。
閉じた空間で話せば、知ることは少なく、知ることが少なければ、分かることも少ない。 その状態で知ろうと分かろうとすれば、賢さは自然と失われてゆき、お互いを貶める以外に生き残る方法が無くなる。 閉じた空間では、閉じたまま知ろうと分かろうとすることをやめて、お互いを貶めないことと、新たに知るためにできることをすること。 しかし、全てを知ることはできない。 だから、人はお互いを貶めることをやめなくては未来がない。
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自分のことだけ考えると、外へ自分の良いところを出せなくなる。
自分のことだけ考えると、外へ自分の良いところを出せなくなる。 良かれと思っても、ひとつも出ることがない。 他者を考えて良いことを行うとき、自分の良いところが出せる。
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全ては常に生まれ変わっていて、過去のものは存在しない。
全ては常に生まれ変わっていて、過去のものは存在しない。 であれば確実な存在は、継続性にある。 それを育んだり、奪ったり、乗り換えたりする。 しかし奪っても乗り換えてもそれは継続性を断つことになる。 たんたんと受け入れ継続すること。
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人が良くなっていく話は、人それぞれ置かれた条件が違うので、比べて真似てはできない。
人が良くなっていく話は、人それぞれ置かれた条件が違うので、比べて真似てはできない。 しかし、良くなって大切なことを思い出して取り戻した、その良いことである、赦しや愛は、普遍であり、それぞれの条件は関係がない。お互いにそれを気づき、気づかされ、助け合う。 だから人は、その普遍を目指し向上しようとするかぎり、一人ではない。 比較をして優劣や善悪を考えた時点で、人は人生を見失う。
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いきり立てば片方はそれに合わせて落ちる。
いきり立てば片方はそれに合わせて落ちる。 そうならないためには敬意と尊重と優しさと思いやりと赦しが必要。 そこから生まれる冷静な視点による必要性に合わせた叱咤激励が必要。
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使う目的ありきの金稼ぎは、常に不満の道で、安らぎがない。
使う目的ありきの金稼ぎは、常に不満の道で、安らぎがない。 世の役に立って得られる金は、安らぎの後についてくる結果をもたらす。
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自分勝手に生きてみるのも、自分の足で歩くこと。
自分勝手に生きてみるのも、自分の足で歩くこと。 い自分の足でなくては大切なことは気づけない。 どんな生きる道を歩こうとも、大切なことに気づく道を進む。 失敗し学びたい改心し成長し、果たして行く。 まずは自分の足で歩くこと。
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何もせずに優しくいるなら、優しさは使われない。
何もせずに優しくいるなら、優しさは使われない。 何かを優しく行うとき、優しさは使われる。
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どんな良いことも有限で終わりがある。どんなことも命の貴重な経験。だから、そのことを悲しまず、ただ感謝して讃えていたわるのみ。
どんな良いことも有限で終わりがある。どんなことも命の貴重な経験。だから、そのことを悲しまず、ただ感謝して讃えていたわるのみ。