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お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。

お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。 すると若くて何でもない子が、それを学ばざるを得なくなり、まるで年寄りでお坊さんのような子になる。 これは物事の流れ、順序、成り立ちから言って、自然なことであり、特別なことではない。



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物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。

物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。 そこには個人としての世界しかなく、強引さ、極端さにしかならない。 それは物事への成り立ちを与えない。 個人としての経験の後で正しさを身につけたとしても、その自我を手放す言動がなければ、手放す機会も生まれない。 そのような者を打ち負かそうとすれば、自分もその小さな戦いへと縮こまってゆく。 そのような者たちが世界に普遍的なものを広め流すことはない。 私たちは粛々と、良心のもと、謙虚さのもと、そのような偏りを手放して、任せて、最善を尽くせばいい。




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閉じた空間で話せば、知ることは少なく、知ることが少なければ、分かることも少ない。

閉じた空間で話せば、知ることは少なく、知ることが少なければ、分かることも少ない。 その状態で知ろうと分かろうとすれば、賢さは自然と失われてゆき、お互いを貶める以外に生き残る方法が無くなる。 閉じた空間では、閉じたまま知ろうと分かろうとすることをやめて、お互いを貶めないことと、新たに知るためにできることをすること。 しかし、全てを知ることはできない。 だから、人はお互いを貶めることをやめなくては未来がない。




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人が良くなっていく話は、人それぞれ置かれた条件が違うので、比べて真似てはできない。

人が良くなっていく話は、人それぞれ置かれた条件が違うので、比べて真似てはできない。 しかし、良くなって大切なことを思い出して取り戻した、その良いことである、赦しや愛は、普遍であり、それぞれの条件は関係がない。お互いにそれを気づき、気づかされ、助け合う。 だから人は、その普遍を目指し向上しようとするかぎり、一人ではない。 比較をして優劣や善悪を考えた時点で、人は人生を見失う。