善か悪かは、自分が相手かではない。 自他共に、善悪両方を抱く。 自身の悪を滅して善を真ん中に置く。 相手と仲間になるために、相手の悪を取り入れてはならない。 逆もまた同じこと。 まず良心を生きることが第一歩であり常の歩みである。 自我を手放さなくては実現できない。 なぜなら自我は、善に慢心し、悪を正当化する。 善を滅して悪を真ん中に置く、真逆になる。
月別: 2019年5月
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知は体験を凌駕する。
知は体験を凌駕する。 体験の積み重ねは個人の域を出ない。 体験の情報は単なる記録でしかない。 だがそれら積み重ねの末に発見された真理や真実、これが知である。 よって知は、無用な体験を避けさせる。 知が体験を凌駕すると知る者は、まず行動的である。 そして行動の結果としての体験の積み重ねや情報という、個々の範疇を超えて、全体に行き渡る真理や真実を垣間見て、知るのだ。
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派手な柄の昆虫は、柄に我知らぬと、静かにたたずむ。
派手な柄の昆虫は、柄に我知らぬと、静かにたたずむ。 しかし触れれば飛び上がり、即座に噛みつきもする。 まるで眠れるロボットか爆弾が、スイッチひとつ押すこおによってその全力を大爆発させるように。 人は自我の主張のために派手な柄をまとう。 または昆虫のように無知のまま、まとわされている。 それとも知を得て脱ぐも着るも自在で、どちらに関わらず行動も自在なら、無知もなく自我もなく、人の知として残るは愛であり思いやりとなる。
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今の住処が大切なように、先祖もまた別などこかの住処を大切にした。
今の住処が大切なように、先祖もまた別などこかの住処を大切にした。 住処の本質を大切にするために、今の住処を大切にする。 所有ではなく、大切で必要な役割として。 いずれ手放すからと、無下にしてはならない。 有り難い機会。 それは自分や子供の命も同じことが言える。
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所属と所有は異なるもの。
所属と所有は異なるもの。 自分が何者であり、根ざし、咲くのか、それらは所有とは異なるもの。
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勇気は心の痛みを伴う、自我を手放し、周囲の心と繋がりながらも、周囲が好まない逆へと走らなくてはならないことだから。
勇気は心の痛みを伴う、自我を手放し、周囲の心と繋がりながらも、周囲が好まない逆へと走らなくてはならないことだから。 無謀は周囲が憧れる自我の夢に酔い、心の繋がりもなく、欲望のみであり、心の痛みを伴わない。
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雑とは配慮に欠けることであり、狭い完璧主義ほど雑で、見落としが多い。
雑とは配慮に欠けることであり、狭い完璧主義ほど雑で、見落としが多い。
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信念という芯は表に出して外に向ければ、ひ人を叩く棒にしかならない。
信念という芯は表に出して外に向ければ、ひ人を叩く棒にしかならない。 内容や意味は問題ではなくなる。 あるいは欲望で欲しいものをかき集めるさじに使う。 芯を常に中身に抱き育み感謝して、それを軸に誠実であれ。 その行いが刀なら、刀は信念では無い。 信念を阻む歪み、まず己の歪みを正すために、正しく振る。 それが行いにも反映されて行けば、周囲に貢献する行いとなる。
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問題があるものを責めて正論を言ったり、自分が成りかわろうとするのは、自我の行い。
問題があるものを責めて正論を言ったり、自分が成りかわろうとするのは、自我の行い。 問題があるものを助けて改善するのが魂の学びある最善の行い。
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ゲームはやりとりであり、行動とは言えない。
ゲームはやりとりであり、行動とは言えない。 ゲームの勝敗は上下や優劣を決めない。 ただ相手を無き者にするため、問答無用の一刀両断を、行動すればよい。 その時、仮想敵は透明でなくては、これもまたゲームになり、我欲や悪徳に負けたのだ。 仮想敵が他人であろうと、自分自身であろうと、透明ではない。 一刀両断すべきか、良心は本当か。 その懐と猶予を持つには、明鏡止水の無心、姿勢の傾きも歪みもない、その一刀の前に、我欲や悪徳を置き去り、一刀のあとに無からの未来の創造が生まれる。 さもなくばその一刀は傾き歪み、遺恨を引きずって、その悪徳を周囲に飛び火させる。 あるいは身体中をチカラが乱れとび、自分の体のどこかを壊す。
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味方の悪いところは気にならず、敵の悪いところは目立つ。
味方の悪いところは気にならず、敵の悪いところは目立つ。 味方は利害の一致であり、許しは存在しない。
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嘘のある世界で、人は嘘をつく。
嘘のある世界で、人は嘘をつく。 人に嘘をつかせる者は、自身が嘘の世界を生きている。
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良心から来ることは、やらねば後悔する。
良心から来ることは、やらねば後悔する。 そうでないことは、やれば後悔する。
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こうなりたいという自分に、お金や力は不要。
こうなりたいという自分に、お金や力は不要。 人としての良心をどう現実的に生きてゆけるか。 そのための反省と成長と向上を歩めているか。 そこに、なりたい自分がある。 人間として生まれてきて、どうなりたいか、その核はそこにある。
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対等や平等を考えるとき、相手との力の拮抗になり、硬化する。
対等や平等を考えるとき、相手との力の拮抗になり、硬化する。 相手を敬い尊重するとき、愛と成長と創造の高め合いとなる。