自分を大きく見せたがる俗物は、他者を利用するのみ。 謙虚であれば、大きく見せる必要がないと知っている。
月別: 2018年4月
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生きとし生けるものの命は全ての平等。
生きとし生けるものの命は全ての平等。 命の儚さと有り難さと貴重さを感じた時、それらを生かす大いなる愛を実感する。
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あとになって思い出せない感謝が沢山ある。
あとになって思い出せない感謝が沢山ある。 あとになって思い出せる感謝は、次第に感謝ではなくなり、自己都合の損得感情になる。 ほんとうの感謝は赦しと共にある。 苦さの奥にある甘みのようなもの。
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原因探しは良いが、常に自分事として見ること。
原因探しは良いが、常に自分事として見ること。 なぜならこの世界は自分の鏡だから。 自分を省みて反省することが、自分にできること。
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どうしてもうまくいかないのは、それ以外に道が用意されているからでもある。
どうしてもうまくいかないのは、それ以外に道が用意されているからでもある。
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人知れずに奪うだけでも奪うことに変わりはない。
人知れずに奪うだけでも奪うことに変わりはない。 そして人は誰かに知られずにはいられない、共有したがる本性を持つ。 密かに賛同者を集めるが、それこそが奪う力の源泉となっている。 奪う力は、奪う力からしか発展しない。 与える力もまた同じ。 目先の欲を与えることを人助けとは言わない。 それは撒き餌にすぎない。
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騙されたのなら、騙す行為を信仰して自分もそう行為したから。
騙されたのなら、騙す行為を信仰して自分もそう行為したから。 他人のせいにはできない。 相手の行為を鏡として、自分の行為を正すこと、
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苦しくて本性を隠す余裕がなく本性が出るときが、本性改善の機会。
苦しくて本性を隠す余裕がなく本性が出るときが、本性改善の機会。 他人を責めたり悪者呼ばわりしないこと。 たとえ本当でも、自分がまず善くなること。 裁かない、責めない。 今の自分に出来ることは常にこれしかない。
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人は悪くない、そこに人ではない悪い何者かが介入しただけのこと。
人は悪くない、そこに人ではない悪い何者かが介入しただけのこと。 もしそこに人だけだったなら、良心からの悲喜こもごもだけだったろう。 だが人ではない悪い何者を生み出すことがあるのもまた人かもしれない。 であればそのぶんだけは人の反省で解決される。
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マーケティングは用意周到、人寄せや人集めはみな同じ。
マーケティングは用意周到、人寄せや人集めはみな同じ。
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苦手の克服は、どんな道でも可能、今の道でも可能。
苦手の克服は、どんな道でも可能、今の道でも可能。 もし今の道が良心を軽んじる場なら、違う道でもいい。 逃げていると言われても相手はしなくていい。 だが多くを悲しませる自分だけのワガママであれば、逃げずにそこで克服すること。 自分の良心を無くすのは、いつでも自分の自我から始まる。 しかし、そのように狭める道が世の中にはある。 社会から外れた反れた道。 そのような誘いには注意して、ほんの少し触れることもしないこと。 誘惑は最初のひとくちから虜になる。
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本当の愛するとは、あふれて留められない。
本当の愛するとは、あふれて留められない。 見返りの期待や損得感情の入り込む余地がない。 愛があふれる人になると、自分の内外で常に愛が満ちる泉に生きるようになる。 限りなく、尽きることもない。 それは産み出し続けられる生命活動の体温のようなもの。 生命は愛そのもの。
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外への盲信のため全てを捨てる覚悟は易しい。
外への盲信のため全てを捨てる覚悟は易しい。 内にある良心のため全てを捨てる覚悟は辛く難しい。 なぜなら執着を手放すから。 盲信という大きな執着で眠らされることなく、現実を見つめるから。 だがその辛さを乗り越えて真実の良心を自分で探求して見つけなくてはならない。 そうでなくては本当の意味で家族のために生きて、家族を繁栄させることは叶わない。 そこに愛や思いやりの本当の姿を見つめなおす旅がある。
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いつか終わる富や、きりのない執着の繰り返し自体に、意味はない。
いつか終わる富や、きりのない執着の繰り返し自体に、意味はない。 それらを通して成長し学び昇華することに意味がある。 受け入れ赦し愛し謙虚に、最善を尽くすこと。 良心の声を聞いて全体のために努めること。 あるべき形や姿とは何か、大切なことは何かを見つめて、そこに行動を近づけようとすること。 自分との向き合い、それは不言実行。
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まず最初に外に原因を探す者は信用されない。
まず最初に外に原因を探す者は信用されない。 なぜなら本人が責任を果たさず反省しないから。 まず最初に他者から見れば自分に問題があるのに、指摘をされない。 なぜなら聞く耳持たずと扱われ、すでに信用されていないから。