過ぎ去ったものごとや人物にも、感謝を送ること。 すると、得られなかった愛がやってくる。 愛は時と場所を超えるから。
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生きている者だけが、自分を救えて、他人も救える。
生きている者だけが、自分を救えて、他人も救える。 生きている者、すでに亡くなった者、両方を救える。 現世に生きている限り、具体的な行動を起こせるので、変化を生み出せる。
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報酬を渡さない相手には、対等ではなく、助けてもらっていることを知ること。
報酬を渡さない相手には、対等ではなく、助けてもらっていることを知ること。 相手から報酬を得られないのは、対等ではなく、助けてあげていることを知ること。 報酬のかわりに経験を支払う、というのは成り立たない。 なぜなら、何であれお互いに経験となるから、そこには等価交換がない。 報酬は、良いものを足したか、悪いものを削減したときに、等価交換で発生する。 この真逆では、人を騙して奪う者となる。 経験が増えると、慢心し始めて、経験の価値がわからなくなり、ただ騙して奪う者となる。 そしてもちろん、そこにも経験は勘定に入らない。 現世を甘く見て嫌い馬鹿にするものは、現世でしか得られない経験を軽んじる。 そのような幽霊のような者に近づいてはならない。 近づけば永遠に実態を持たない虚無に、多くを奪われる。
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詐欺と失敗の違い。
詐欺と失敗の違い。 まだない物事を目指して予定を立てて、そのために努めて、それと現実結果が違うなら、それは失敗であり、かつ成功への過程。 しかし、すでに明らかな物事を偽り嘘を伝え、人々を扇動するなら、それは富を集めるための詐欺。
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簡単な手法による成功には、多大な艱難辛苦と努力と経験、好条件と運周り、それらが裏で力を発揮している。
簡単な手法による成功には、多大な艱難辛苦と努力と経験、好条件と運周り、それらが裏で力を発揮している。 それらを隠して簡単な手法を売り物にする者に近づいてはならない。 それらを買った支払いに加えて、裏の力を後から請求される事態となる。 そこに正当な取引は存在しない。 その裏の力のためにできることは、本人次第であり、売ることができない。 それを売れる者は一時的な成功を餌にして詐欺を繰り返し働く者であり、近づいてはならない。
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仕事を依頼するときは、強制ではなく、力を貸していただくと考えて、対等のパートナーシップを忘れないこと。
仕事を依頼するときは、強制ではなく、力を貸していただくと考えて、対等のパートナーシップを忘れないこと。 一対多において対等のパートナーシップを築ける者は、多くを長く安定して受け取る者となる。 与えるものが大きく意味を持ち、大勢に共通したものであれば、受け手は大きなものを受け取り小さなものを返す関係となる。 しかしそれが集まれば大きな富が集まることになる。 それは安定して支持される意味。 自己中ほど不都合で自由度の少ない細く狭い人生で小声で蠢くのみとなる。 その逆であるほど、かえって自分の自由は増す。 短期的で投機的な集金には、安定して支持されるような大きな意味はなく、小手先の誤魔化しばかりでしかない。 それはそれで自由なようで、そのような世界に視野が狭まって行く。 それは真の自由ではなく、真の自由を持つ相手への嫉妬心が冷めやらず、その相手の内在の大切さを壊し奪い自信を消す行動に終始し、さながらワンマン社長となってゆく。 そこには尽きない悩みと不満が続き、いくら富をかき集め時間を稼ごうとも、その使い道が狭いことから、成功者とは言えない。 成功者とは、得たものをどう使ったかにある。 どれだけ得たかではない。
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自己中で非協力的な社員には、養うかわりに何かを手伝ってもらう。
自己中で非協力的な社員には、養うかわりに何かを手伝ってもらう。 自我を脇に置き協力的な社員には、その恩恵にこたえる好条件と高い報酬。 社員と一言で言っても、パート感覚で自己中な者、事業主のように全体への貢献を考える徳の高い者、ピンキリ。 そこを査定して見合う報酬や処遇にすればいい。 依怙贔屓は存在しない、正当な評価がそこにあるだけ。 評価がいよいよ下がれば、誰かに取って代わられ、後悔する方向へと落ちて行く、自業自得。
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どんなことがあっても、臆病に、後ろ向きに、誰かを責めて、逃げてはならない。
どんなことがあっても、臆病に、後ろ向きに、誰かを責めて、逃げてはならない。 いったんそれをすれば、ここまで登った人生の山を真っ逆さまに転げ落ち、止まることはない。 これまでのすべてが経験にならず、後悔のみと変わって行く。 そしてその重荷を背負って、また人生の山を登らなくてはならないが、立ち上がる前からすでに絶望し、臆病風にふかれて、諦める。 ただ自分のことだけ考えて食いつなぐ餓鬼にしかならない。 せっかくの命をそのようにして細めてはならない。 太らせて挑戦すること、これまでのすべてを学びに変えて、成長し、同じ過ちを繰り返すまいと、内省し、前を向き、希望を世界に感じさせ、生き抜くこと。
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自分の良心を目上の者が否定したり認めないとき、それがその目上の者の間違いや欠点である。
自分の良心を目上の者が否定したり認めないとき、それがその目上の者の間違いや欠点である。
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失敗を気に病む者は、ふだんどれだけたくさん失敗しているか気づいていない。
失敗を気に病む者は、ふだんどれだけたくさん失敗しているか気づいていない。 自分の都合に悪い失敗を嫌い、自分の都合に良い失敗を気付かず忘れている。 他人に対しても同じことをするが、あとから自分の都合に良くなるなら、他人のすべての失敗を洗いざらい責め立てる。 人はみな失敗する。 失敗は学ばせる。 それを自分の都合のために振り分ける者は、それがいちばんの失敗である。
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いちばん大きな欲望は貢献である。
いちばん大きな欲望は貢献である。 貢献は安定して継続した助けを与えること。 したがって投機的になってはならない。 投機的な意識で貢献を夢見させる者は、早く救わなくてはならないと恐怖と不安で煽り、急がせ、焦らせる。 それはどんなに大きくても所詮は一人分の欲求であり、目先の欲にすぎないので、相手をしてはならない。 世界の一億人を投機的なことに誘い夢を見させて浪費させ大金を巻き上げることよりも、目の前の目先の一人の赤子の一口の乳がはるかに大きな意味を持つ。 一億人はなにをしていても一億人。 我を忘れて同じ穴に飛び込ませるなら、これほど意味のないことはない。 巻き上げる数人の欲望のためだが、その数人の人生など、価値はちいさい。
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永遠から見れば外にあるものはすべて短命で不確かで変化する。
永遠から見れば外にあるものはすべて短命で不確かで変化する。 それら外にあるものに、自信や価値の基準や条件を置くと、できているかと不安になり、必ずそこに、できていないよ、と魔がつけこむ。 内にあるものは最初からそこにあり、そこがすべての基準。 これを思い出し気づくまで、過ちを繰り返す。 それを被害者ぶる者には近づかないこと。 すべては自分が起こすこと。 内にはたしかに慢心などといったものも埋もれているが、さらに内にゆけば、ほんとうの基準である良心にたどりつく。 外のものより何倍もマシ。 かつ、先行きは良い。 小欲が大欲となり貢献への意識となる。 それまでは疑問が沸き続ける、人はそれを汲み取り昇華する。 それをせずに目を瞑る者には近づかないこと。 これを外におく者は、外の貧しさや不満が、貢献に至らせないと決めつける。 貧しいからこそ人は助け合う。 それを否定する者は助け合わず、奪い集めることがすべて、そのような者には近づかないこと。
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自分だけは大丈夫という者は、たとえその実績実力があっても、近づかないほうが無難。
自分だけは大丈夫という者は、たとえその実績実力があっても、近づかないほうが無難。 慢心して欠かすぶんだけ周囲を犠牲にする他なく、そうして得たものを自分の力だと思い込んでいるから。
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他から見れば富裕のように見られるような、豊かで恵まれた地に生まれる者は、言って見れば富裕な者たちが一同に介したようなもの。
他から見れば富裕のように見られるような、豊かで恵まれた地に生まれる者は、言って見れば富裕な者たちが一同に介したようなもの。 助け合いよりも比べ合いが生じやすい。 比べて悲観したり慢心したりして忙しい土地の者たちは、みな豊かで、助け合って、他のものを助けなくてはならない。 かまて
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目標や目的の了見が狭ければ、赦さず認めず強制的になる。
目標や目的の了見が狭ければ、赦さず認めず強制的になる。 了見が広ければ、赦し認め自主性をそれぞれが発揮する王国となる。