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失敗を気に病む者は、ふだんどれだけたくさん失敗しているか気づいていない。

失敗を気に病む者は、ふだんどれだけたくさん失敗しているか気づいていない。 自分の都合に悪い失敗を嫌い、自分の都合に良い失敗を気付かず忘れている。 他人に対しても同じことをするが、あとから自分の都合に良くなるなら、他人のすべての失敗を洗いざらい責め立てる。 人はみな失敗する。 失敗は学ばせる。 それを自分の都合のために振り分ける者は、それがいちばんの失敗である。


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いちばん大きな欲望は貢献である。

いちばん大きな欲望は貢献である。 貢献は安定して継続した助けを与えること。 したがって投機的になってはならない。 投機的な意識で貢献を夢見させる者は、早く救わなくてはならないと恐怖と不安で煽り、急がせ、焦らせる。 それはどんなに大きくても所詮は一人分の欲求であり、目先の欲にすぎないので、相手をしてはならない。 世界の一億人を投機的なことに誘い夢を見させて浪費させ大金を巻き上げることよりも、目の前の目先の一人の赤子の一口の乳がはるかに大きな意味を持つ。 一億人はなにをしていても一億人。 我を忘れて同じ穴に飛び込ませるなら、これほど意味のないことはない。 巻き上げる数人の欲望のためだが、その数人の人生など、価値はちいさい。


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永遠から見れば外にあるものはすべて短命で不確かで変化する。

永遠から見れば外にあるものはすべて短命で不確かで変化する。 それら外にあるものに、自信や価値の基準や条件を置くと、できているかと不安になり、必ずそこに、できていないよ、と魔がつけこむ。 内にあるものは最初からそこにあり、そこがすべての基準。 これを思い出し気づくまで、過ちを繰り返す。 それを被害者ぶる者には近づかないこと。 すべては自分が起こすこと。 内にはたしかに慢心などといったものも埋もれているが、さらに内にゆけば、ほんとうの基準である良心にたどりつく。 外のものより何倍もマシ。 かつ、先行きは良い。 小欲が大欲となり貢献への意識となる。 それまでは疑問が沸き続ける、人はそれを汲み取り昇華する。 それをせずに目を瞑る者には近づかないこと。 これを外におく者は、外の貧しさや不満が、貢献に至らせないと決めつける。 貧しいからこそ人は助け合う。 それを否定する者は助け合わず、奪い集めることがすべて、そのような者には近づかないこと。



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他から見れば富裕のように見られるような、豊かで恵まれた地に生まれる者は、言って見れば富裕な者たちが一同に介したようなもの。

他から見れば富裕のように見られるような、豊かで恵まれた地に生まれる者は、言って見れば富裕な者たちが一同に介したようなもの。 助け合いよりも比べ合いが生じやすい。 比べて悲観したり慢心したりして忙しい土地の者たちは、みな豊かで、助け合って、他のものを助けなくてはならない。 かまて




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他者の言葉に、ある時は感心し、ある時は疑問を感じ、あるときは良心に反する。

他者の言葉に、ある時は感心し、ある時は疑問を感じ、あるときは良心に反する。 他者は完璧ではない。 頼りたいなら、自分の良心に。 自分もまた完璧ではないが、少なくとも踏みとどまる分別はつけられる。 他者の良心なき言動を踏みとどまらせないのは、追従する者の賛同や後押しや依存。





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お金を数字としてしか見ないなどの、偏って歪んだ受け止め方、そこから来る間違った比較や考え方。

お金を数字としてしか見ないなどの、偏って歪んだ受け止め方、そこから来る間違った比較や考え方。 自分を内省せず、自分の姿を見ず、他者や世界を責めて恐怖する。 そんなことのために生きているのではない。 それによって生かされているのでもない。 そんなことばかりで心を埋め尽くす間にも、貴重な人生の時間は過ぎ去って行く。 死なないと思っているから、他者や世界を責めて恐怖する。 その根っこには、自他を分断する、自我がある。 お金も、正しい受け止め方も、そこから来る正しい比較や考え方も、全てはいつ死ぬかもからない身を有り難く感謝して、真剣に生きることから結果的に集まって来る。 分断はそれらを拒み続ける。


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間違った比較は、間違った理解や判断につながる。

間違った比較は、間違った理解や判断につながる。 ほとんどの人が、間違った比較をしている。 まず、正しい比較をしているか、自問自答すること。 その比較の目的、方法、材料、その他もろもろ。 比較対象に失敗や過ちを含めても、比較はできない。 なぜならどんなことにも失敗や過ちはある。 そこから学ぶしかない。 そして比較にすら必ず失敗や過ちがある。 それは失敗や過ちを比較対象にすること。 比較することよりも、失敗や過ちから学ぶこと。 過去を責めたり恨むのではなく、今を最前で生きようとすること。 成長すること。 その間違った比較を手放すことで、今ある幸せに気づく。 比較しても幸せには気づけない、なぜなら幸せは比較しないときにだけ得られるものだから。 比較は不満からしか生まれないから。 幸せを忘れなければできない行為だから。 それなのに比較で幸せをつかもうとする人は、まず人生の責任や評価を、他者においている。 それが比較を生む。 その比較の世界でしか幸せを探すしかなくなる。 そして探しても見つからず、終わりなき無限の悪心で、他者を責めて、世界を怖がり、勇気の一つも出せない。 だから失敗も間違いもできず、新たな道の取り組みもできず、成長できない。 その根源は自他を分断させる自我にある。 自分のことだけ考えているから、周囲の力に気づけない。 そして自分以外を、自分の都合に良いか悪いかの、敵か味方でしか見ない。 養分を拒み、閉じこもる殻を好む、種子のようなもの。 成長は幸せのひとつ。 成長をとめてはならない。 比較は成長を生まない。 一時的には強くなれても、それは力の比較でしかない。 力を弱めたところに生きる道が転がっていることなど、しょっちゅうある。 だが力を夢見て、周囲を殺して行く。 その先にあるものに手が届かない。 そんな箱庭の先にあるのが成長。 それは個々の力にとどまらないこと。 殻を破り、間違いから卒業すること。 それを終わらせ、平安をもたらすこと。



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例外的な境遇の、例外的な選択をした者は、例外的であり参考にはならない。

例外的な境遇の、例外的な選択をした者は、例外的であり参考にはならない。 その例外には通常では折り合えない苦悶や苦渋があり、本人が自分に正しいと思い込ませる強引な自己都合の理屈が隠れていて、その後悔から目をそらさせていることが多い。 参考になるのは一般例のみ。 もし例外的なことを考えるのなら、自分の良心で、全体にとっての最善を考え、その行動を尽くすこと。 他者の例外を盾に、怠けてはならない。 またその言葉に良心をゆだねてはならない。