良い過去も悪い過去もあれど、今どうするかで未来は決まる。 過去の栄光は今の正しさを証明せず、逆も同じこと。
月別: 2018年9月
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助けてもらうために感謝するのではなく、自分を他人を執着から赦して大安心を思い出すため。
助けてもらうために感謝するのではなく、自分を他人を執着から赦して大安心を思い出すため。 そこから良心の行動を思いつき、実行するのみ。
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相手を恐れ疑うのは、相手に正しさを頼ろうとするから。
相手を恐れ疑うのは、相手に正しさを頼ろうとするから。 自分が正しくあろうと、良く接することに努めれば良い。 その眼差しに、相手を疑い恐るものはなく、愛が宿る。 だが正義をふりかざせば相手への敵意となる。 正義は愛ではない、なぜなら正義は自分で振りかざす自分のものだが、愛は最初から与えられている。 だから感謝からはじまることで、愛のもと正しく、良く接することができる。 感謝のない愛は、押し付けたり、飢えて欲しがる、執着となり、それは実は愛ではない。
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お金の話をするのは悪いことじゃない。
お金の話をするのは悪いことじゃない。 だがそれを最初の目的として話してくる人は良いことではない。 なぜなら最初に大切なものはお金じゃないから。 それで人の輪を広げて何の世界に住みたいというのか。 最初に大切なものは一番の土台。 それを第一としなければ土台は小さく、広がるようで埃を飛び散らかす独楽のようにまわるだけで、小さくまとまるしかない。 広がりは第一の土台を大事にすれば、自然と縁が集まって行く。 どんな縁が集まって欲しいのか、一度きりの人生において。
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素晴らしいものを自分のものにしようとすれば執着になる。
素晴らしいものを自分のものにしようとすれば執着になる。 それに素晴らしいものと自分の内にあるものの出会いのたびに、一つの感謝と学びを置いてゆけば、それをもたらしたものは想いを果たすだろう。 そうして執着はなく、かといって無駄にもならない。
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間違ったことを学べば、人はそれをいすれ辞めるようになり、正しいことを学べば、人はそれをいずれ感謝し進んで行うようになる。
間違ったことを学べば、人はそれをいすれ辞めるようになり、正しいことを学べば、人はそれをいずれ感謝し進んで行うようになる。 どちらも本人次第。
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言葉は、自分を認めてもらうためにあるのではない。
言葉は、自分を認めてもらうためにあるのではない。 そこは行動しかない。 自慢話や自己主張よりも、行動で示すこと。
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知恵や知識にこだわる者は、常に壁にぶつかりながら進む。
知恵や知識にこだわる者は、常に壁にぶつかりながら進む。 なぜなら、分かったつもりになっては、未熟な人に全てわかることはないために、自ら迷い闇を生むから。
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完璧になろうと注意することに意味はない。
完璧になろうと注意することに意味はない。 ただそのときの良心に従えば良い。 他人との比較に完璧という幻が生まれる。
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人は、自分の無知がわかりにくく、他で聞いてと言いつつ、それでも答えようとして、会話が堂々巡りになる。
人は、自分の無知がわかりにくく、他で聞いてと言いつつ、それでも答えようとして、会話が堂々巡りになる。 何度も訪ねてくる相手は自分と噛み合ってこそ。 その相手を見下したり責めてはいけない。 自分の無知をわかっていない、わかりにくい、それが未熟さのうちと、向上に努めれば良い。
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ひとつの欠点は、いくつもの間違いを起こす。
ひとつの欠点は、いくつもの間違いを起こす。 あらゆる間違いから、自分を見つめ直す角度を持てば、自分を向上させる。 それが、いくつもの間違いから、いくつもの成功へと変えて行く。
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粒子が目の前に何かを表す、自分が粒子となってそこに出向く、どちらも粒子である。
粒子が目の前に何かを表す、自分が粒子となってそこに出向く、どちらも粒子である。 分け隔てする心を手放すこと。
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どんな甘美も永遠に味わい続けることはできない、味わった後は感謝して、そのぶんお返しすること。
どんな甘美も永遠に味わい続けることはできない、味わった後は感謝して、そのぶんお返しすること。
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無数の日々を、それぞれ多様に生きてきた、あらゆることをしただろう。
無数の日々を、それぞれ多様に生きてきた、あらゆることをしただろう。 社会に見る様々な悪事や醜さや愚かさは、そんな無数のいつかの自分に当てはまる可能性も高くなる。 赦しなさい、人はみな同じく、ほんとは善なる存在なのだから。
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真実は多くの角度で異なって見える。
真実は多くの角度で異なって見える。 相手に必要な角度で話せば、真実はゆるぎない。 ひとつの角度にこだわらない、しかし同じ真実を見る心が大事。 ひとつの角度にこだわれば、それを失う。