はじめは純粋にはじめる。しかし途中から欲が表面につきはじめる。やがて剥がれ落ち、また純粋になる。
表面だけを見て不純さをする者は、自身の自我が邪魔して、対象の内なる純粋さを見ることができない。
だがそんな他者を批判する前に、表面の欲や不純を洗い落とすため、自問自答して変化し成長することが先決。
見られてしまう表面が汚れているから、そもそもそう見られても仕方がない。
だがそのときいつも内なる純粋を感じるなら、それを否定してはいけない。
いつもそれを良心として、他者の汚れの目を受け入れてはならない。