夢や希望は、思い描いたものに過ぎない。 だが良心はそうではない。 思い描いたものに良心が隠れないように。 どんなに夢や希望が増して、素晴らしく思えても、それで良心が隠れてしまうことに一抹の不安や疑いがあるなら、良心をいつも信じて良いと、思い直すこと。
月別: 2019年6月
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良心は、相手を遠ざけたり、その場から遠ざかることには無い。
良心は、相手を遠ざけたり、その場から遠ざかることには無い。 いまその場で良心を実践し、変化を生むことにある。 相手やその場に求めれば、自分の生み出す変化から逃げること。 それは良心の実践から逃げること。
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個人主義で自分のことばかりだと、全体を考えなくなる。
個人主義で自分のことばかりだと、全体を考えなくなる。 その全体を考えた平安に支えられてこその個人主義の猶予である感謝と恩を忘れている。 個人の自由が尊ばれている世界は、その世界をも内包する全体の平安も大事に守らんとされている。 そうでない世界では個人主義が偏り、それを縛り付けるため平安ではなく力に訴える。
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この世の全ては生と死で成り立っている。
この世の全ては生と死で成り立っている。 片方だけということはない。 その狭間に立つ者が自分。 前後裁断の平安、何かを得た前も後も、ただここ今も変わらない。
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相手の邪推を真に受ければ、自分も邪で争い勝たねばならない気がしてくる。
相手の邪推を真に受ければ、自分も邪で争い勝たねばならない気がしてくる。 邪に負けず、正義を胸に、その心持ちで生き続けよ。 愛は与える一方で、邪を受けることなく、当てられても灰にするのみ。
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母性愛の分け隔てや不平を悲しまず、愛を受け、愛に満たされるには、自身が愛となり、母性となり、愛を与える存在になること。
母性愛の分け隔てや不平を悲しまず、愛を受け、愛に満たされるには、自身が愛となり、母性となり、愛を与える存在になること。 誰に愛を与えるかと想って愛が出されるのではなく、ただ出され、それが必要なところへ流れてゆくに任せること。 しかしそれは、出そうとしてもその力からは出ない。 すでに預かっている神を忘れず、想い、それを預かる身として礼節と丁寧さと忍耐を生きること。
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自分の我欲に気づいていれば、亡者にはならない。
自分の我欲に気づいていれば、亡者にはならない。 亡者だからこそ盲目で、身勝手にふるまい、他者を悪として、自身がしているそれらの悪には気づけない。 それにより難関にぶつかっても逃げ続ける限り、永遠に亡者のまま。 相手の何を見て、何のためを想い、良かれと成すのか。 我欲はどこまで行っても、自分の我欲の都合にしかならない。 そこから脱するために艱難辛苦を乗り越える。 逃げても、生きる限り。
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あの時に戻りたいと言っても、当時も何かしら不安や悲しみはあったもの。
あの時に戻りたいと言っても、当時も何かしら不安や悲しみはあったもの。 忘れているだけ。 今もあのときの幸せを、心の平安としてここに感じて、今の不安や悲しみはそれと同時の、人生との接点として受け止める。 ただ、今ではなく未来に、無用に不安や悲しみを憂うと、今の平安を失う。 せっかく今はまだここにあることへの感謝を失う。 かけがえのない今に感謝すること。