すぐに話し合えば、そこにお互いの反省や思慮は無く、対立しか生まない。 話し合うことを決めてから、問題が過ぎ去るまで間を置けば、お互いの反省や思慮に満ちた簡潔な話し合いとなる。 問題から逃げれば反省も思慮もしない。 問題から逃げるための話し合いを求める流れは、問題を解決させない。 時間を置いて問題をそのままにして、各自に解決のための反省と思慮をうながす。 話し合いが解決するのは、今の問題ではなく、次の問題。 よって、何を目指すかをまず大事に。 そしてそれを見失わせる自我の問題をまず取り組むこと。
月別: 2019年3月
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道徳は大切にしても強要という悪は行わない。
道徳は大切にしても強要という悪は行わない。 道徳をなくしても強要という悪は行わない。 強要は自我と執着であり、状況を正しく見ないこと。 正しくあることが、正しく道徳を生み、それを生きて、また間違った道徳からも遠ざかる。 その分別は良心。
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道徳なくしての知恵や知識は、道徳を忘れるために使われてゆく。
道徳なくしての知恵や知識は、道徳を忘れるために使われてゆく。
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学識や教義に従い過ぎれば、人の良心や神や存在意義を無視した意識で話をしてゆくことになる。
学識や教義に従い過ぎれば、人の良心や神や存在意義を無視した意識で話をしてゆくことになる。
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多くをやり遂げるのに、自身が振り回されるのは、成り立たない。
多くをやり遂げるのに、自身が振り回されるのは、成り立たない。 山頂にいるものは街の家々の屋根の全てを見渡すように、重心を低くかまえて静かに愛と赦しを持って、ブレないこと。
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自分の視点が一人のためのものかは、山頂に登ればわかる。
自分の視点が一人のためのものかは、山頂に登ればわかる。 知識の山を登ることでも同様。
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自分という存在と意識が、独りよがりでなくなるのはいつだろう。
自分という存在と意識が、独りよがりでなくなるのはいつだろう。 思うに、自我を手放すだけそれに近づく。 近づくにつれ、自我が愛したものへの執着の未練が、ぶりかえす。 しかしそれは捨てるものではなく、今もあるなら愛して感謝して、無くなるのならやはり感謝する。
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与えてもらえた過去に感謝、これが受け身の正しい姿勢。
与えてもらえた過去に感謝、これが受け身の正しい姿勢。 与えさせてもらえるい今と未来に感謝、これが愛することの正しい姿勢。
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疲れとストレスは違うもの。
疲れとストレスは違うもの。 ストレスは摩擦、物事を成す上で出会うもの。
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経験よりも今の感覚が勝る。
経験よりも今の感覚が勝る。 丸太の上で立つ時、過去の立ち方や恐れにこだわれば、たちまち落下するように。
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目の前にあるのかわからないが存在感がある。
目の前にあるのかわからないが存在感がある。 それは過去や未来に偏らず、今にもまっすぐ打ち下ろされている天と地をつなぐ霊魂であるということ。 これは迷いなく感謝そして与えるばかりの奉仕がある、神人合一のこと。
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一人が多数を広く見渡す視点を持つことは可能。
一人が多数を広く見渡す視点を持つことは可能。 また他の一人は少数を狭く囲む視点でいるとする。 狭い者は、広い者を個人として攻撃する。 広い者は、狭い者を広さの中の個人の一人として思う。
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自分の過去を悪くいう限り、自分で自分を認められない。
自分の過去を悪くいう限り、自分で自分を認められない。 自分で自分を理解もできない。 いくら他人が認めても理解しても、それを受け入れない。
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恐れという言葉を使うこと自体が、自身の恐れを指している。
恐れという言葉を使うこと自体が、自身の恐れを指している。 それを他者に指摘する形にすれば、他者に恐れを植え付ける。 そして解決を奪うかたちで、解決を牛耳るように、人を集めて、離さず、命を奪い続ける。 見えない知らないものを、無いと言い、それでいて見えない知らないものを売る。 良心が求めるものは、見えない知らない、しかし求めてやまない。 それを自我は否定し、自信を奪う。
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故人を想い、そこにある大切なものを抱いて生きるか。
故人を想い、そこにある大切なものを抱いて生きるか。 しかし故人がそれを求めながらも志半ばに終わったなら。 残されたものがそれを受け継ぎ果たす。 ゆえに自身そしてすべての内にあるそれを自覚して、感謝すること。 目を閉じて行えばそれは不可思議に夢想するだけ。 しかし目を開けて生きて行えば、それは現実的かつ実践的。 このような変化を生み出す力は、なによりも生きることが勝る。 現実を生きることが最初にある。