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忙しいと言う時、人はそれを何かと比較して例外的な状況だと感じている。

忙しいと言う時、人はそれを何かと比較して例外的な状況だと感じている。 余分で過剰で無駄で不要だと、内心では知っている。 本来ならそのぶんだけ暇がある。 暇だから言える。 暇だから自分から用事を増やす。 そしてそれを自覚せずにいるから、そうした用事を増やし続けて、そのぶん大切なことを見失う。 ほんとうに必要なら納得の一心不乱にあり、内心にそうした比較は無い。 人と器の大小は関係ない。 人は常に自分という一人分を与えられている。 自覚が大事。


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先生も生徒も完璧ではない。

先生も生徒も完璧ではない。 先生が教え忘れたことを教えたと勘違いして、生徒の不出来を叱りつける。 生徒は完璧になれない自己否定から、先生を絶対視する。 そして生徒は個々の気づきや良心を犠牲にする。 先生はそんな生徒を頼りなく感じ、さらに完璧になろうと慢心になる。 はじめからまちがっている、人は完璧ではない。 それは無理なことばかり実現しようとしている。 そこにお互いの嘘と誤魔化しが増え続け、かつ自分は完璧なはずとお互い嘘に盲目となって自分を騙し合う。 不出来な生徒などいない、先生の慢心に生徒という奴隷が服従しきれないだけ。 実現できない無理なことをしていれば、いつか崩れる。 そしてそれをお互いのせいにするのか? そうではなく、各自が自分を内省するしかない。 だからこそ素直に謙虚に学び成長し、良心で判別し、人生から気づきを得る命を与えられている。 その有り難さと感謝から来る内なる平安に、自己否定も慢心もない。 ほんとうの自信がそこにある。


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仕事も子育ても、問題解決の連続。

仕事も子育ても、問題解決の連続。 不安になるが、飛び込めば一心不乱に最善を尽くすことになる。 そのとき心に曇りはない。 もしあれば、なにひとつ噛み合わず、うまくいかない。 曇りがないとは、あらゆる壁や障害を突破して乗り越えることにある。 不安を乗り越えて飛び込むのが、ひとつ、変化と成長にはつきもの。 そのなかで一心不乱となるのが、ひとつ、逃げても問題は消えない。 さらにそのときも良心を見失わず、最善を考えて実践するのが、ひとつ、盲目になれば惰性になり変化と成長の機会を無駄にして、闇雲に新たな問題を生み出す。 思いつくだけでこの三つの晴らさなくてはならない曇りがある。



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瞑想から出てきていつも思ったことは、この平安をどうやって日常に持ち込むかだった。

瞑想から出てきていつも思ったことは、この平安をどうやって日常に持ち込むかだった。 どうしてもできなくて、得られたのは、せいぜい酒を飲んだ時ぐらいだった。 さもなければ、いかに精力的であっても、半分死人のような生き方をするしかない。 するとまず良心が死に始める。 良心は、内なる神と、生きる者とを繋ぐ、唯一の川のようなもの。 だから半分死人になるとは、良心が死に始める。 それを否定するために大きな霊的な権威を求める。 だがどれだけその言葉が完璧でも、行動がともなわない。 あえてやっていると言っても、あえてやる必要などない。 それは、ただ、良心のない行動をしている、それだけであり、特別な意味などない。 瞑想せずともそれを日常で生きる方法がわかった。 それは生かされていることに感謝し、どのような課題であれ愛して最善を尽くすこと。 職業に貴賎をつけないこと、なぜならどの職業も内なる髪を預かる者が生きるためにあるのだから。 権威づけをしないこと、なぜなら最初から神とともにあるのだから。


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風水は、手法によって条件が異なる。

風水は、手法によって条件が異なる。 目的によって異なるのだろうと思われる。 かつ、それは100%でもない。 無理をした風水は持続もできない。 面白いのは、うまくいっている人は自然と良い風水にいる。 うまくいくとは? 子々孫々までも徳分を受け継ぐような結果か。 それとも目先の力の獲得の結果か。 けっきょくたいせつなのは良心。 目的や良心のありかたによって、どの風水で見るかは変わると言える。 それが良いか悪いかも、その人の因果応報でもたらされる。 悪い風水は、無用に悪い出来事を引き寄せるという。 風水の大家でさえ、100%の風水を目指しても、叶うことはない。 自分のためだけにこの世界は無いからだ。 100%と思える風水にいても不幸を生きる者たちもいる。 それを風水の大家は、私のテーマだと言う。 戦の将たちはかつて勝利するため、完璧な風水を目指し、その知識や英知を奪い合った。 相手の風水を悪くしようと企み、多くの血を流させた。 いったいそんな生き方の、なにが、うまくいくというのか。 占星術は、風水と密接な関係にあるという。 星々は神々にたとえられる。 その神々のすべてを理解しきる人間がいるだろうか。 けっきょくは読み手の能力の限界でしかない。 そしてそれを神の声のように受け取り信じることは呪いとなる。 良心の生き方が、その神々への態度となる。 天性の才能と言われた占星術師たちは言う。 今の時点で私に見えて言えることに過ぎない、全てはあなた次第。 ・・・と。 そして長年を占星術に注いだものは、やがて無言になるという。 ただそこに良心をそそぐこと、それは内なる神を宿す者の姿。



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トップダウンで絶対服従の強権とは、傷ついた部下を退けさせる、さもなくば傷ついても血を流さないよう全力全霊で助けることにある。

トップダウンで絶対服従の強権とは、傷ついた部下を退けさせる、さもなくば傷ついても血を流さないよう全力全霊で助けることにある。 それがない強権は、放牧や焼畑農業のように使い捨てることしかしない。 傷ついても養生させず、力を使い果たしても養育もせず、のびろ、よこせ、枯れるな、と罵倒するだけで、要求することしかしない。




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集金はきっちりしていて、その後の計画を立てや履行はずさん。

集金はきっちりしていて、その後の計画を立てや履行はずさん。 そして自分の負荷負担の主張だけをして、その価値に見合わない対価を、姿の見えない権威づけと皮算用で要求する。 それは詐欺の基本形、かつ本人もそのことに、気づかない。 気づいていても理屈で塗りつぶすか、さらにその親玉に権威で塗りつぶされている。 上には上がある、下には下とも言える、多くの人たちから利をせがむ飢えが絶えない下の者が。 多くを求めて得るものほど餓鬼道で貧しく、その言葉に耳を傾けてはならない。 求めずとも多くを得ているものは、多くを与えたものも知ること。 このことに気づいて自覚し理解していれば、良心の呵責から、詐欺の片棒を実行にはうつせない。 詐欺の道に巻き込まれて奪われもしない。 多勢に無勢かもしれないが、それでも強くあらなければならない。 そのためにただひとつ、守ると良いこと。それは集団での学び舎に埋没しないこと。 どこにいようと独りであれ。 仲間意識を求められても、それが切り離せないく鎖となる。 与えよ、だがそれは自分自身からのものであれ。 集団のなかでの役割としてではいけない。



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人生や物事の計画を立てる目的は、効率化にある。

人生や物事の計画を立てる目的は、効率化にある。 無理や無駄や混乱をなくして、誰かを助けることにある。 狭い了見をなくし、ややこしくなったことを整理整頓し、荷を軽くするためにある。 思い通りにするためではない。 思い通りにしようという狭い了見で、人々に無理や無駄や混乱をそのまま背負わせる負担を強いるためではない。


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学びになるから参加すると言うのは自分が与えて貰うことばかり。

学びになるから参加すると言うのは自分が与えて貰うことばかり。 何か自分にできることがある、参加すること自体が誰かに感謝される。 自分の存在そのものに力があり、それを動かしてゆくのが自分の意思。 すでに与えて貰っていることに感謝する意思が、それを実現する。 そのことに出会うために縁など必要ない。 生まれた時点でその縁に預かる日々である。 その自覚がなくても、そうである事実に変わりはない。 ただ、それを忘れているときは、気づかせるための声かけは大切。 でもそれはなにも大切な格式高い特別な権威の縁ではない。 ささやかな風のように、誰のものでもなく、またどこかしらから吹き、去ってゆき、とどまることはなく、蓄えることもない。