風水は、手法によって条件が異なる。
目的によって異なるのだろうと思われる。
かつ、それは100%でもない。
無理をした風水は持続もできない。
面白いのは、うまくいっている人は自然と良い風水にいる。
うまくいくとは?
子々孫々までも徳分を受け継ぐような結果か。
それとも目先の力の獲得の結果か。
けっきょくたいせつなのは良心。
目的や良心のありかたによって、どの風水で見るかは変わると言える。
それが良いか悪いかも、その人の因果応報でもたらされる。
悪い風水は、無用に悪い出来事を引き寄せるという。
風水の大家でさえ、100%の風水を目指しても、叶うことはない。
自分のためだけにこの世界は無いからだ。
100%と思える風水にいても不幸を生きる者たちもいる。
それを風水の大家は、私のテーマだと言う。
戦の将たちはかつて勝利するため、完璧な風水を目指し、その知識や英知を奪い合った。
相手の風水を悪くしようと企み、多くの血を流させた。
いったいそんな生き方の、なにが、うまくいくというのか。
占星術は、風水と密接な関係にあるという。
星々は神々にたとえられる。
その神々のすべてを理解しきる人間がいるだろうか。
けっきょくは読み手の能力の限界でしかない。
そしてそれを神の声のように受け取り信じることは呪いとなる。
良心の生き方が、その神々への態度となる。
天性の才能と言われた占星術師たちは言う。
今の時点で私に見えて言えることに過ぎない、全てはあなた次第。
・・・と。
そして長年を占星術に注いだものは、やがて無言になるという。
ただそこに良心をそそぐこと、それは内なる神を宿す者の姿。