未分類

瞑想から出てきていつも思ったことは、この平安をどうやって日常に持ち込むかだった。

瞑想から出てきていつも思ったことは、この平安をどうやって日常に持ち込むかだった。
どうしてもできなくて、得られたのは、せいぜい酒を飲んだ時ぐらいだった。
さもなければ、いかに精力的であっても、半分死人のような生き方をするしかない。
するとまず良心が死に始める。
良心は、内なる神と、生きる者とを繋ぐ、唯一の川のようなもの。
だから半分死人になるとは、良心が死に始める。
それを否定するために大きな霊的な権威を求める。
だがどれだけその言葉が完璧でも、行動がともなわない。
あえてやっていると言っても、あえてやる必要などない。
それは、ただ、良心のない行動をしている、それだけであり、特別な意味などない。
瞑想せずともそれを日常で生きる方法がわかった。
それは生かされていることに感謝し、どのような課題であれ愛して最善を尽くすこと。
職業に貴賎をつけないこと、なぜならどの職業も内なる髪を預かる者が生きるためにあるのだから。
権威づけをしないこと、なぜなら最初から神とともにあるのだから。

About klassfunktion

ふだん気づいた言葉を残しています。