学びになるから参加すると言うのは自分が与えて貰うことばかり。
何か自分にできることがある、参加すること自体が誰かに感謝される。
自分の存在そのものに力があり、それを動かしてゆくのが自分の意思。
すでに与えて貰っていることに感謝する意思が、それを実現する。
そのことに出会うために縁など必要ない。
生まれた時点でその縁に預かる日々である。
その自覚がなくても、そうである事実に変わりはない。
ただ、それを忘れているときは、気づかせるための声かけは大切。
でもそれはなにも大切な格式高い特別な権威の縁ではない。
ささやかな風のように、誰のものでもなく、またどこかしらから吹き、去ってゆき、とどまることはなく、蓄えることもない。