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人の至らなさ、抜けているところは、どうしても他者を傷つける。

人の至らなさ、抜けているところは、どうしても他者を傷つける。 完璧になることはできないが、そういう身であることを自覚して、常々を謙虚に省みる態度でいることは、逆に他者はそこを共感して痛み入り、傷つけた側としての自責や後悔を想い、憐れみや赦しを向けることにもなる。 お互いを赦すこと、お互いを共感すること、それは同じ身であることを知ることから始まる。 それ無くしては、あり得ない。 だが、たとえ相手がそのようでないにしても、自分からそのように生きるしか、先はない。 共感や赦しは自分に起こることであり、それは自分から起こすものである。 他者の共感や赦しを自分から求めてはならない、それは、求めて受け取る資格のない、不釣り合いなことをしている。 相手が不完全で完璧ではないこと、未熟であることは、しかたがないこと。 なるべくそれが不幸を招かないように配慮することが、己を知り生きるということ。 そこに最大価値がある。 それ以外のいかなる富の積み重ねも、その者の成長や優秀さを証明することはない。 悪びれることなく言い逃れ、己の力を隠れ蓑にする者は、恥ずかしい。 なぜならそれは自分の行いを見ようとしなかったり、理解から逃げているからである。 それをいつも自分に言い聞かせること。 人は反省や成長を嫌うとき、必ずそういう態度を取っているもの。


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過去の吉凶混在を明らかにして釈明することは意味がない。

過去の吉凶混在を明らかにして釈明することは意味がない。 大切なのはその過去の結果として今とこれからを吉にできるよう行動することにある。 感謝して学ぶ、それしかない。 今この瞬間に傷ついたとしても、その次の今からすれば、それはすでに過 過去となる。 とらわれることなく、反面教師にするか、邪推を捨てて見方を変えるか、因果応報が働いていて果として味わえる奇跡に頭を垂れるしかない。 それゆえに自身の行動を変えればそれは自然と次の果を生み出す。 それが物事を変えて行く。 過去に囚われて報復することに意味はない。 それは同じことを繰り返して、たとえ相手に非があろうとも、次にはその非を自分が行うことになる。 であればその非のある行為を焼き尽くすには、自分がその過去にとらわれなきことで、向上する以外にない。 今そこに感謝を置いて行くしかない。 そのように生きることができるきせきを与えられたその身の限定の命を感謝をすればこそ、非を責めるような心は今この常々の感謝で焼き尽くす以外にない。 感謝の対象が研ぎ澄まされ、明確になり、ごまかしなく、真っ当であればあるほど、あますところなく焼き尽くされる。






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人を依存させるのは、甘やかすことと、見下すこと。

人を依存させるのは、甘やかすことと、見下すこと。 甘やかせば人は慢心して、飽きればその場を離れさせ人生から逃げ回ることに依存する。 見下せば、人は誠実さ、真面目さ、良心でもって、それを挽回して成長しなければと、その場に嫌でも留まり、偉ぶり天の声を偽る者に依存するようになる。 人生から引きずり下ろしてしまう。 逃げ回させもせず、引きずり下ろしもしない接し方とは、奉仕すること。 そして奉仕が現実的に効果すること。 そしてその現実的な効果とは、簡単で当たり前で、小さなこと。






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物事の急変は、あらゆる事象の重なりが表立った結果。

物事の急変は、あらゆる事象の重なりが表立った結果。 見えないところで日々、急変は起きている。 意図して都合よく起こすものではない。 無理に起こすものでもない。 見えないからと焦ることでもない。 常に表立った急変を生きる者は、他者が遅く見えるだろうが、それは裏を欠いた視点。 未熟でしかない。


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居場所がない疎外感を感じるなら、まず自分を反省すること。

居場所がない疎外感を感じるなら、まず自分を反省すること。 自我が強すぎて他者の親切や気遣いを拒んではいないか。 目の前の課題を選り好みせず受け入れる真剣さに欠けてはいないか。 素直に学べず成長から逃げてはいないか。 つまりは自分から世界を拒んで勝手に孤立した気分を勘違いしてはいないか。


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明け渡すときは、自分の良心に対してのみ。

明け渡すときは、自分の良心に対してのみ。 いついかなるときも、外部の何かに明け渡してはならない。 現実逃避をすれば一時は楽だが、後で事態は悪化してゆく。 良心に明け渡すときは、辛いもの。 だがそれは手離す辛さであり、外部のに何かによって課せられる圧力とは異なる。 この圧力を人生の辛さと誤解してはならない。 試練はすでに来ている。 その試練を弾き飛ばすために圧力をかける外部の何かは、利用できるようにするための圧力をかけているだけ。 試練を試練として万事を赦し愛する者だけが手本となる。 そしてそれは晩年にならなければわからない。 それまで試練は続くからだ。