過去の吉凶混在を明らかにして釈明することは意味がない。
大切なのはその過去の結果として今とこれからを吉にできるよう行動することにある。
感謝して学ぶ、それしかない。
今この瞬間に傷ついたとしても、その次の今からすれば、それはすでに過 過去となる。
とらわれることなく、反面教師にするか、邪推を捨てて見方を変えるか、因果応報が働いていて果として味わえる奇跡に頭を垂れるしかない。
それゆえに自身の行動を変えればそれは自然と次の果を生み出す。
それが物事を変えて行く。
過去に囚われて報復することに意味はない。
それは同じことを繰り返して、たとえ相手に非があろうとも、次にはその非を自分が行うことになる。
であればその非のある行為を焼き尽くすには、自分がその過去にとらわれなきことで、向上する以外にない。
今そこに感謝を置いて行くしかない。
そのように生きることができるきせきを与えられたその身の限定の命を感謝をすればこそ、非を責めるような心は今この常々の感謝で焼き尽くす以外にない。
感謝の対象が研ぎ澄まされ、明確になり、ごまかしなく、真っ当であればあるほど、あますところなく焼き尽くされる。