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人は皆それぞれ、人一倍努力しなくてはならない部分がある。

人は皆それぞれ、人一倍努力しなくてはならない部分がある。 そのぶん、それを克服する過程で、皆それぞれの人生で大きな学びと経験と成長を得る部分でもある。 そしてそれは皆の共通項に通じる。 人一倍の努力を嫌ってはならない。 そのうえで、お互いの得手不得手がわかり力を合わせ、お互いを気遣うことができる。 何事も精一杯、努めること。 下手でも努める者を遮ったり見下したり笑ったりしないこと。


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見返りは期待せず、社会に貢献できますようにと祈り信じて良心で行動する。

見返りは期待せず、社会に貢献できますようにと祈り信じて良心で行動する。 それが通じれば必ずそれは自分にも還る道理。 還っても還らなくても祈り信じて良心で行動できるよう、向上を目指すことに変わりはない。 あとは道理が決めること。 今こうして受け取っていることに気づき、感謝するのみ。





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嘘をつかないということは、真実の認識と、表現に、ずれがないことである。

嘘をつかないということは、真実の認識と、表現に、ずれがないことである。 正しく混乱なく歪みなく誤魔化しなく、正確に生理が機能することを言う。 誰しも無自覚に嘘をつく。 これを自覚に変えて行くところに、良心は不可欠。 言動を正すことにつながる。 まず良心のための言動を取ること。 それが自分の自我や都合に反して、自我に不満で不足だとしても。 それはかえって、本当に自身を満たし、自我もまた良い形で生かされることになる。


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真実に耳を塞ぐと、良心にも耳を塞ぐ。

真実に耳を塞ぐと、良心にも耳を塞ぐ。 自我のためだけに走り回る者は、自他の良心を隠すために、どんな嘘も真実のように語る。 だがそのすべてが真実ではない。 それに自他が気づく時はあるか? ないかもしれない。 だが良心は知っている。 だからこそ自我は抵抗し、常に不幸を感じさせ、なおのこと良心を隠そうとする。 地獄がそこにある。 いっときは天にも昇る心地で幸せかもしれない。 だがそれは幻で、いつか消え去る時、叩きつけられる時が来る。 終わらない後悔がやってくる。 そうならないために、真実に耳を塞がないこと。 自他の真実を隠す嘘をつかないこと。 そのうえでの嘘の方便は必要と言うこともできる。 真実を認識して作る嘘は嘘ではなく、回避や迂回にすぎない。



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自覚していることは解決に向かって働くことができる。

自覚していることは解決に向かって働くことができる。 自覚がなければ欠けている。 欠けたものを含まない要素だけで組み立てた完璧な論理は、欠けたものを見えなくする。 それは良心に痛みを感じさせる。 完璧な論理を第一優先とする場を取り繕えば、その痛みを間違いだと説き伏せてしまう。 だから自覚がない者は完璧な論理を好む。 その論理に反すれば、それは自我の産物だと言う。 本当に論理を愛する者なら、論理には常にこうした見落としがあると考える。 そしてそれを見つけるためにこそ論理を使う。






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大金を稼ぐ者の欠点短所が生み出す因果応報は、稼ぎが少ない者でも同じ。

大金を稼ぐ者の欠点短所が生み出す因果応報は、稼ぎが少ない者でも同じ。 大金を稼ぐ者の優れた点を否定することはできないし、欠点を大金を責める正当な理由にもできない。 しかしそれは逆に、稼ぎが少ない者でも変わらない。 つまり大金を稼ぐ理由が、他者の欠点や不満を否定したり責めることから始まっていたなら、それも同じこと。 そのようか者が結果としてもたらすとは、以前の何も変わりはしない。 ただ自分の自我の満足の、きりがない飢えのために戦っているだけでしかない。 そのような者に近づいてはならない。 その者の見せかけの成果に目がくらみ、何も変わらない者が無理に集める大金の源泉となるだけのこと。 そしてその負の責任を、その者は取ろうとしない。 見せかけの正当性は、何も変える力はない。 それは実際に手渡されるものとは異なる、客寄せの宣伝広告でしかない。