詐欺とは、嘘は言わないが、狭めた一部の真実や選択肢や可能性や道しか伝えない。 ひとつの道理はあっても、その他の多くの道理を否定する。 その狭めた目先の利益を餌にして、人それぞれの使命、多様性、自身の良心との関わりといった、利益以外の大切なものを盗んでゆく。 結果として、その利益がどれだけ増えようとも、大切な使い道そのものがなくなる。 人を焼き払い奪う道がそこにある。 その免罪符として、どれだけの善行を積もうとも、そうして焼き払い奪った人々の善行の総和には遠く及ばない。 世界中の長者たちが富を集めても世界を救う力には到底及ばない事実のなか、たった一人の長者の富の自慢は、自我の慢心にほかならない。 とにかく富への執着に余念がないが、もともと世界にたゆたう富を集めるだけで、強欲を満たす以外に意味をなさない。 人々が各自で生み出し、富や幸せを分かち合い助け合うことに意味がある。 だがそれを否定するものこそが、狭めた一部の言葉である。 小さな飴玉で子供をさらうのに等しい。 またその言葉の特徴は、常に欲望にしか訴えかけない。 富もそうであるが、徳についても同じである。 たとえそれが善意から来ているとしても、独善的である。 善行とは何かという視点が欠けている。 それは偽善にもならず、実態は自我が欠点を認めず完璧でありたいとする言動にすぎない。 それが狭めた一部の言葉となってゆく。 たしかにその力は完璧で完全無欠だとしても、その力以外のものをすべて見失っているがため、それは信じてついてゆくに値しない。 人々に捨てさせた、各自に受け継がれた徳分、人々の一人分の善行を浪費させ、積ませることがない。 積むものがあったとしても、その悪徳な因果を振りまくこともまた、善行を打ち消してゆく。 そうして人々から富を集めて、たった一人の長者となろうとする。 そのような者には笑顔と親切を受けようとしてはならない、決して近づいてはならない。 まさに、悪魔は優しいのであり、そうした欠点を反省することもしない。 その強さで否定し、その欠点と狭さで反省点を見ることもない。
カテゴリー: 未分類
未分類
憐れみや慈悲をかけることは、相手の欠点や短所に巻き込まれることではない。
憐れみや慈悲をかけることは、相手の欠点や短所に巻き込まれることではない。 相手の欠点や短所に腹を立てず、人は皆お互い様であり、お互いそこで悩ましく生きることを受け入れ認めて、素直に助け合うことである。 単に巻き込みたい者は助けを素直に求めないし、他者から奪い続ける生き方しかできずにいる。 その者からは離れるしかない。
未分類
信念のために死んでもいいという者は、そのように命を軽んじる。
信念のために死んでもいいという者は、そのように命を軽んじる。 自分の信念のために他者が死んでもいいと言うのと同じことを、世の中に振りまいている。 そしてそんな時が来るまで、ひたすら死ぬことから逃れ続け、他者を死なせ続ける。 いつまでも来ないことは信念ではない。 それは逃げるための言い訳であり、なにより未熟である。
未分類
人の至らなさ、抜けているところは、どうしても他者を傷つける。
人の至らなさ、抜けているところは、どうしても他者を傷つける。 完璧になることはできないが、そういう身であることを自覚して、常々を謙虚に省みる態度でいることは、逆に他者はそこを共感して痛み入り、傷つけた側としての自責や後悔を想い、憐れみや赦しを向けることにもなる。 お互いを赦すこと、お互いを共感すること、それは同じ身であることを知ることから始まる。 それ無くしては、あり得ない。 だが、たとえ相手がそのようでないにしても、自分からそのように生きるしか、先はない。 共感や赦しは自分に起こることであり、それは自分から起こすものである。 他者の共感や赦しを自分から求めてはならない、それは、求めて受け取る資格のない、不釣り合いなことをしている。 相手が不完全で完璧ではないこと、未熟であることは、しかたがないこと。 なるべくそれが不幸を招かないように配慮することが、己を知り生きるということ。 そこに最大価値がある。 それ以外のいかなる富の積み重ねも、その者の成長や優秀さを証明することはない。 悪びれることなく言い逃れ、己の力を隠れ蓑にする者は、恥ずかしい。 なぜならそれは自分の行いを見ようとしなかったり、理解から逃げているからである。 それをいつも自分に言い聞かせること。 人は反省や成長を嫌うとき、必ずそういう態度を取っているもの。
未分類
失敗や挫折の経験がない者は、正誤の間を知らない。
失敗や挫折の経験がない者は、正誤の間を知らない。 自分が正しく他者が間違いだと信じてやまない。 他者の成長による強さと自主性を信じず、押し付けしか知らない。 弱い点は目を逸らして逃げることしか知らない。
未分類
失敗の経験がなければ、どこからが失敗かを判断できない。
失敗の経験がなければ、どこからが失敗かを判断できない。 失敗が成功への道であることもわからない。 ふつう失敗は過ぎ去り、成功結果が残る。 失敗は忘れやすく、見えにくい。 だがそれは本人には自覚できること。 失敗をあえて隠したり、無いと言い張る者は、他者から奪うために嘘をつく詐欺師。 そのような者の、成功の実績を材料にした、まことしやかな理屈の言葉は、その裏に嘘が多い広告塔にすぎない。 そのような者に近づいてはならない。
未分類
相手に合致しない物事を教えても、想定通り学び取られることはない。
相手に合致しない物事を教えても、想定通り学び取られることはない。 それを相手の不勉強としてはならない。 教える側の不勉強から来る想定不足にすぎない。 しかし学び取られなくとも参考にはなる。 そしていつしか、活かされるときが来るかもしれない。 教えるということは、意図的な活かされ方を想定できない部分も大きい。 期待どおりの成果が出ないからと、相手のせいにして、想定内として汲み取れないのは、教える側の経験不足、視野の狭さでしかない。
未分類
相手の失敗とつとは、周囲すべて巻き込み責め立てて相手を切り捨てるほどのことなのか。
相手の失敗とつとは、周囲すべて巻き込み責め立てて相手を切り捨てるほどのことなのか。 であれば相手の善行ひとつで周囲すべて巻き込むほどの利益を相手個人一人に集めなくては、その理は成立しない。 だがそうはならない。 相手を攻め立てる気持ちは小さなものでしかない。 それをいつまでも握れば、その小さな人生としかならず、その滞り、ちぢこまりを、周囲にも強いることになる。 それは目には見えないが、周囲から多くを損なわせることになる。 周囲から笑顔を奪う腫れ物のような行為は、何ひとつ利を生まない。 相手を責めるのなら、孤島でやるといい。 そうすれば自分しか責める相手がなくなり、そうした未熟さを内省して成長することにもなる。 しかしそれは無理なことだから、相手を責めることなく全力を尽くすしかない。 どこかで逃げている限り、そこに正当性は皆無。
未分類
自分と他人を比較し不満を抱く者は、まず自分がどれだけのものごとに恵まれ、他者には無いものごとを得ているか、洗いざらい、述べ挙げて、感謝すること。
自分と他人を比較し不満を抱く者は、まず自分がどれだけのものごとに恵まれ、他者には無いものごとを得ているか、洗いざらい、述べ挙げて、感謝すること。 すると、人はみな、とにかく驚くほど違っていて、比較などできないことが、わかってくる。 それでもなお生かされるための共通項に不備があれば、それを助けてもらうか、自分で変えて補うしかない。 これをせずに、助けを求めていれば、周囲から際限なく奪い取り足を引っ張るだけ。 そしてそんな弱々しさでは、自分で変えて補うことなど、まず無理なこと。 生かされているだけで感謝、ここがまず最初。 これがない不満や疑問は、すべて我儘な自我の産物でしかない。
未分類
相対的に対立させた話をするなら、両側に立つことができ、擁護と内省ができ、どちらの味方もせず、双方の手を繋がせなくてはならない。
相対的に対立させた話をするなら、両側に立つことができ、擁護と内省ができ、どちらの味方もせず、双方の手を繋がせなくてはならない。 つまり中間にいる必要がある。 そこで双方の繋がりを生むところにいるとき、そこに話をする意味、話で伝えるべき肝心要がある。 どちらの夢にも眠りこけて寄って酔ってはならない。
未分類
批判や拒絶は、対象を100%の悪とみなすこと。
批判や拒絶は、対象を100%の悪とみなすこと。 たとえ対象が悪しき過ちだとしても、浅い理解や経験で批判や拒絶をしてはならない。 さもないといざ我が身というとき、そこから身を守れず、また隣人の身というとき、助言も提言も救いもできない。 そうして後になって行うことは、やっぱり批判や拒絶しかなくなる。 どんなことも経験として善転できるものとできなくなる。 いざほんとうの挑戦や成長の機会が来ても、手にすることはできない。 目の前に悪があるからと、それについての批判や拒絶によって、自分について盲目となってはならない。 すでにその盲目が、自分に別な悪への盲信をさせていることに気づいていないのだから。
未分類
いつでもこころに嬉しさを。
いつでもこころに嬉しさを。 生かされ今のその状況に挑戦できることに。
未分類
どんなに愚かで分不相応でも、例外的な成功例はある。
どんなに愚かで分不相応でも、例外的な成功例はある。 その裏では、その稀のほかに数え切れないほどの失敗例がある。 誰かの実績例を参考にしないこと。 自己判断と良心で考えることを放棄してはならない。 それをさせる者があれば、それはゼロサムゲームで多くの失敗から自分が利するために、稀の成功例を餌にするのとを常套手段にしている。
未分類
太陽のことが嫌いで、その欠点を並び立てても、太陽はそれに構わず愛し続ける。
太陽のことが嫌いで、その欠点を並び立てても、太陽はそれに構わず愛し続ける。
未分類
仲良くすれば小さな悪事はどうでもよくなる。
仲良くすれば小さな悪事はどうでもよくなる。 だが言える時に言うべきことは言うことが大事。