自分を棚にあげてしまうのは、生かされているという基本を忘れているから。
投稿者: klassfunktion
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生かされる有り難さを知る昔は、先祖のが紡いだ命への感謝を知っていた。
生かされる有り難さを知る昔は、先祖のが紡いだ命への感謝を知っていた。 生きるために耐え忍ぶことができる感謝を知っていて、生きるための勤めにより疲れることの有り難さへの感謝も知っていた。 それでもなお襲い来る苦悩を実は救ってくださっている神への念仏その一手でもよかった。 だがその結果、社会が豊かとなれば当然、それらの根本にあった感謝をすべて忘れる。残るものは、自分だけは救われたいという念仏のみとなりがちとなる。また、品物に囲まれて、それすらも忘れる。
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誰かに良かれとはじめた。自分は儲かり、その誰かは破滅した。
誰かに良かれとはじめた。自分は儲かり、その誰かは破滅した。 それでも自分は儲かったから正しいと言うなら、その誰かを含めた多くを食い物にしたことを正しいとする我欲にすぎない。 そしてそれをまたもだれかに伝えて、正しいさを主張し、新たな誰かを集める。 その繰り返しに何があるか。
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大切なことを多くの人に教えてもらった。
大切なことを多くの人に教えてもらった。 だがその誰として一人とも、絶対ではない。 絶対は形に出ない。そして全ての内にあるがため、他者の道の批判は絶対とはならないことはおろか、道としての清さを無くす。
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楽しければ良いなら、その裏で泣かせてきたことに、決して気づくことはない。
楽しければ良いなら、その裏で泣かせてきたことに、決して気づくことはない。 結果の善し悪しはまず個人の価値観にすぎないから。 自身の善は他人の善とは限らない。それはそれでいい。だが問題はその裏で得たものがあることを善しとすることにある。 なぜならその裏では失う人が必ずいる。泣かせている。それに気づけないのは、己を改めてこそ善しとすることがない。 高みにいれば、それは最後まで高みだが、そのままであれば、その上の空へと駆け上がることもない。
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笑い話にできることは、誠実に努めあげたことのみ。
笑い話にできることは、誠実に努めあげたことのみ。 さもなくば反省することのみ。
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得ても必ず失う。
得ても必ず失う。 得ても得ても、すべては失われていくことにかわりはない。 もともと無一文、得れば幸せというものはない。 もともと無一文、失えば悲しみというものもない。 もともとありがたい甘露、すべてが。それらに感謝し、讃歌を贈ること。 それを見失うのは、海水を飲み続けて、喉が渇き続けるようなもの。
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良い案が出ないときは、それでもこの世界はひとつであると、感謝する。
良い案が出ないときは、それでもこの世界はひとつであると、感謝する。 それを見失ったから不幸が広まっているのだと知る。
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特異な私生活を守る、特異な歴史を持ち披露する、それ自体が大きな自我。
特異な私生活を守る、特異な歴史を持ち披露する、それ自体が大きな自我。 人の営みとしての私生活を持つ、人の営みとしての歴史を持つ、それは手放しやすい自我。 私生活を持たない、歴史を持たない、それは自我を手放したこと。 自我は有限。永遠である愛や真理を見失わせる。 すでに愛や真理とともにあるからこそ有限な命を預かった。ことさら獲得しようとする必要はない。それを見失わせるものを受け取らないこと。 自分の自我を手放すかわりに、他者の自我を受けとり、自分の自我にしようとしてはならない。自我に自分の他者もなく、自我は自我でしかない。 人それぞれの縁によって人生がある。自我を手放させない夢見は縁のない自我。 自我に自分も他者もないが、他者の自我を受け取れば、その自我を生み出した他者の縁をも受け取ろうとする。 すると自分の縁をも壊すことになり、愛や真理を学ぶという自身の人生の縁から遠ざかる。
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ぜんぶ一度に叶えようとするから悲しみ苦しむ。
ぜんぶ一度に叶えようとするから悲しみ苦しむ。 小さなことから一つづつ、しかも時間が、かかる。 傷がふさがり癒えるまでに時間がかかるように。 それまでは痛み、不自由であるように。 小さなことから一つづつということは、誰かのためにすること以外に存在しない。 自分のための願望は大きいが、誰かのためにすることは積み重ねであり、その相手が気付けるかどうかの、ささやかな行いだからだ。 だから続けよ、まず小さなことから一つづつ感謝し、その瞬間をその誰かとともに過ごせばいい。 それがその誰かのために積み重ねることとなる。一方的に与えるのではない。それは機械を相手にするのと変わらない。 水をやり続け、花の気持ちを考えて、対話するように、いたわり、育むものだ。 世界はどんどん速度が早まり、そんな気持ちが追いつけなくなる。そしてやがて時間は極限まで短くなる。 時間をかけなくなる、気持ちを考えず、いたわらず、早くしなければと手を緩めない。 そして、時間はゼロとなる。花は枯れて、失われる。 そして失われたものに気づき、はやる気持ちを乗り越えてゆくと、時間はまた、ゆるやかに伸び始める。 時間をかけて、対話し、いたわり、育む。その大切さを悟った状態で。 そのときはもう執着はなく、愛がそこにあり、悲しみではなく、平安によって、為されて行くだろう。 そしていよいよ最後のときとなっても、ふしぎと悲しみはないのだ。 もう失われないほど、永遠となるからだ。どうあっても永遠なのだ。
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人は本来、ゆっくり時間をかけるもの。
人は本来、ゆっくり時間をかけるもの。 情報も少ないもの。 だから舎利選択し、必要最低限とし、焦らず急がず。 どうあれ人生に100年も無く、一度きりであることに変わりない。 本来を生きるべし。 過ぎ去るものが嵐や激流でも、心がそれになる必要はない。 心をそうなるようにするために 心の静けさがあるのではない。
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見知らぬ子供や老人の悲報を聞くと、胸が痛む。
見知らぬ子供や老人の悲報を聞くと、胸が痛む。 他人だというのに。 ほかにも、この耳にも届かない悲報が、星の数ほどあるに違いない。 となると、他人であろうとなかろうと、たとえ耳にすら届かないとしても、祈らずにはいられない。 そして、良い世界になるよう、頑張りたい。 そう思える。 幸せな人たちの陰で、悲しみにくれる人たちがいる。 救われないだろうか、しかしたいへん難しいことである。 自分にできることはなんであろうか。 せめて、善くあろう。努力したい。 至らない点という曇りを晴らして、青空のようになりたい。 人の頭上に曇りをもたらして、陰りを生むようなことにならないよう、優しくありたい。 誰にでも愛を持って接する人でありたい。 人のことを寸分でも悪く思ってはならない。 その人は自分のことがわからなくて、探したくて、今の役割を精一杯、頑張っている。 その悲しみがわからなくて、愛せない。 誰しも悲しみを抱えている。 それを忘れてはならない。 全ての人を家族のように愛せるだろうか? そうでありたい。
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反省するヒマがなければ、その人は変容できない。
反省するヒマがなければ、その人は変容できない。 やわらかくなれない。
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雨風の音や匂いと、隣人の美しさは、同じ。
雨風の音や匂いと、隣人の美しさは、同じ。