ぜんぶ一度に叶えようとするから悲しみ苦しむ。
小さなことから一つづつ、しかも時間が、かかる。
傷がふさがり癒えるまでに時間がかかるように。
それまでは痛み、不自由であるように。
小さなことから一つづつということは、誰かのためにすること以外に存在しない。
自分のための願望は大きいが、誰かのためにすることは積み重ねであり、その相手が気付けるかどうかの、ささやかな行いだからだ。
だから続けよ、まず小さなことから一つづつ感謝し、その瞬間をその誰かとともに過ごせばいい。
それがその誰かのために積み重ねることとなる。一方的に与えるのではない。それは機械を相手にするのと変わらない。
水をやり続け、花の気持ちを考えて、対話するように、いたわり、育むものだ。
世界はどんどん速度が早まり、そんな気持ちが追いつけなくなる。そしてやがて時間は極限まで短くなる。
時間をかけなくなる、気持ちを考えず、いたわらず、早くしなければと手を緩めない。
そして、時間はゼロとなる。花は枯れて、失われる。
そして失われたものに気づき、はやる気持ちを乗り越えてゆくと、時間はまた、ゆるやかに伸び始める。
時間をかけて、対話し、いたわり、育む。その大切さを悟った状態で。
そのときはもう執着はなく、愛がそこにあり、悲しみではなく、平安によって、為されて行くだろう。
そしていよいよ最後のときとなっても、ふしぎと悲しみはないのだ。
もう失われないほど、永遠となるからだ。どうあっても永遠なのだ。