未分類

信念という芯は表に出して外に向ければ、ひ人を叩く棒にしかならない。

信念という芯は表に出して外に向ければ、ひ人を叩く棒にしかならない。 内容や意味は問題ではなくなる。 あるいは欲望で欲しいものをかき集めるさじに使う。 芯を常に中身に抱き育み感謝して、それを軸に誠実であれ。 その行いが刀なら、刀は信念では無い。 信念を阻む歪み、まず己の歪みを正すために、正しく振る。 それが行いにも反映されて行けば、周囲に貢献する行いとなる。



未分類

ゲームはやりとりであり、行動とは言えない。

ゲームはやりとりであり、行動とは言えない。 ゲームの勝敗は上下や優劣を決めない。 ただ相手を無き者にするため、問答無用の一刀両断を、行動すればよい。 その時、仮想敵は透明でなくては、これもまたゲームになり、我欲や悪徳に負けたのだ。 仮想敵が他人であろうと、自分自身であろうと、透明ではない。 一刀両断すべきか、良心は本当か。 その懐と猶予を持つには、明鏡止水の無心、姿勢の傾きも歪みもない、その一刀の前に、我欲や悪徳を置き去り、一刀のあとに無からの未来の創造が生まれる。 さもなくばその一刀は傾き歪み、遺恨を引きずって、その悪徳を周囲に飛び火させる。 あるいは身体中をチカラが乱れとび、自分の体のどこかを壊す。










未分類

この世界に誰もが有るのだから、どのようであっても良いのか。

この世界に誰もが有るのだから、どのようであっても良いのか。 それは、あらゆる縁と関係があってこそ次が生まれる、紡がれる、そのことを見ていない。 この世界の全てが、はじめは何も無く、これから無くなってゆく。 そこに心が生まれ、良心が生まれ、思いやりが生まれた。 問題や過ちも生まれ、だからこそ悔い改めと許しが生まれた。 それを精一杯、最善を尽くすことから逃れようと、世界のことを語っても、それはどんなものよりも矮小、それが自我。



未分類

振り返れば、全ての過去は今はもう無い。

振り返れば、全ての過去は今はもう無い。 今の目の前が確実に有る。 もう無い全てがあっての今がある。 だがこれもいずれ過去となり無いものとなる。 唯一有ると言えるのは、その無いもののなかに何があり、求め、見るのか。 それが有るがために全ては与えられ、現れ、そして無くなる。 唯一有ると言えるもののために最善を尽くす、それを生きる。 何をしに来たのか、今は無い過去の全てをしにきた。 まだ続きがある。 これから何をするのか。 そのことに永遠を求めず、それらの中に有るものを見つめる、母が赤子を見つめるように。 満たし、守り、支え、思いやり、やがては孝行がそれを自分に返し、またそれを世界に放つ。 そんな光として希望として生まれたと、命のきらめきを生きる。 そこに何の問題があるか、最善は尽くせ、それが生きること。