美しい素晴らしいものを見て、受け取りたい惜しみを生きれば、執着と失うことの悲しみを生きることになる。 自分もまた同じく美しく素晴らしい命を生きる、仲間であり、同じ方向へと進む家族兄弟として生きれば、受け取るまでもなく同じものを受け取った身として、与えるのみに生きる、晴れ晴れとした、清々しさとなる。
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平静さを厳しく教えこめば、緊張の装いを植え付ける。
平静さを厳しく教えこめば、緊張の装いを植え付ける。
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社会環境が作った道徳や性別、本質からの道徳や性別。
社会環境が作った道徳や性別、本質からの道徳や性別。 社会環境に和して生きるための道徳や性別を生きることは大事。 しかし本質から外れ始めたら、社会の自我のためだけに生きることになる。
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感覚が鋭く繊細でも、自我で狭い判断してしまうなら意味はない。
感覚が鋭く繊細でも、自我で狭い判断してしまうなら意味はない。
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明確な失敗は、永続的な成功の材料となる。
明確な失敗は、永続的な成功の材料となる。 不明確な成功は、永続的な破滅の材料となる。
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大いに恵まれた者は、大いに貢献せよ。
大いに恵まれた者は、大いに貢献せよ。 大きな恵みを維持存続させようと苦しむのは、その大きな種を大きな樹に育てることを知らないからだ。 それをただ枯らして終わらせたくないから苦しんでいる。 その大きな恵みが正しく天へと向かう道を歩めば良い。
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万人に通じる貢献がわからなければ、自分の家族だけに良い手段しかわからない。
万人に通じる貢献がわからなければ、自分の家族だけに良い手段しかわからない。
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信用できるかどうかは、社会で責任ある立場にいるかでわかる。
信用できるかどうかは、社会で責任ある立場にいるかでわかる。 影に隠れず、隠し事をせず、世界を狭めず、偏りをせず、公正明大であり、本音を話して、嘘をつかないこと。
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自分にも他人にも利があったから善というわけではない。
自分にも他人にも利があったから善というわけではない。 交換取引に善も悪もない。 本当の善なら、他人にとって善であり、利などない。 恩であり報いであり敬いであり助け合いが生まれるのであって、利はさらにその先の見た目に現れる余剰でしかない。 それが自我に都合良ければ喜び、都合悪ければ恨む、それが利。 自我の都合など関係なく、生かし生かされてゆく、そのに善はある。
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すぐに話し合えば、そこにお互いの反省や思慮は無く、対立しか生まない。
すぐに話し合えば、そこにお互いの反省や思慮は無く、対立しか生まない。 話し合うことを決めてから、問題が過ぎ去るまで間を置けば、お互いの反省や思慮に満ちた簡潔な話し合いとなる。 問題から逃げれば反省も思慮もしない。 問題から逃げるための話し合いを求める流れは、問題を解決させない。 時間を置いて問題をそのままにして、各自に解決のための反省と思慮をうながす。 話し合いが解決するのは、今の問題ではなく、次の問題。 よって、何を目指すかをまず大事に。 そしてそれを見失わせる自我の問題をまず取り組むこと。
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道徳は大切にしても強要という悪は行わない。
道徳は大切にしても強要という悪は行わない。 道徳をなくしても強要という悪は行わない。 強要は自我と執着であり、状況を正しく見ないこと。 正しくあることが、正しく道徳を生み、それを生きて、また間違った道徳からも遠ざかる。 その分別は良心。
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道徳なくしての知恵や知識は、道徳を忘れるために使われてゆく。
道徳なくしての知恵や知識は、道徳を忘れるために使われてゆく。
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学識や教義に従い過ぎれば、人の良心や神や存在意義を無視した意識で話をしてゆくことになる。
学識や教義に従い過ぎれば、人の良心や神や存在意義を無視した意識で話をしてゆくことになる。
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多くをやり遂げるのに、自身が振り回されるのは、成り立たない。
多くをやり遂げるのに、自身が振り回されるのは、成り立たない。 山頂にいるものは街の家々の屋根の全てを見渡すように、重心を低くかまえて静かに愛と赦しを持って、ブレないこと。
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自分の視点が一人のためのものかは、山頂に登ればわかる。
自分の視点が一人のためのものかは、山頂に登ればわかる。 知識の山を登ることでも同様。