無条件の、与えるのみの愛に目覚めれば、なにが愛に値する言動が、事実が、真理が、わかる。
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鏡を見て、見誤り、くわしく分析する。
鏡を見て、見誤り、くわしく分析する。 それは鏡が汚れているわけではない。鏡として相手に何かを指摘するときは、返ってくる言葉で傷つくようなエゴを捨て、鏡のようでなくてはならない。
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相手の存在にかげえなく有り難く感謝する。
相手の存在にかげえなく有り難く感謝する。 相手がいるのは、そこまでにお互いを至らせた無数のご縁があったから。 それ自体が奇跡そのもの。
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いかなる良心も、理屈でひっくりかえすことはできない。
いかなる良心も、理屈でひっくりかえすことはできない。 必死にだませるかもしれないが、続かない。 手を替え品を替え、それでもダメなら相手を替える。 自分はいつまでも改心しない。
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真理があり、すべてがある。
真理があり、すべてがある。 であれば、わざわざ真理を求めなくてよい。 わざわざ表に出すのは、その裏に我欲を乗せることになる。 みんなのものであるものを我がものとしてふりまわすことになる。 それはまるで、家の土台と屋根をひっくり返すようなこと。 あるいは山を見る角度をひとつしか認めないということ。 真理を鎮座させるのではない。 真理の上にわたしたちが鎮座しているにすぎない。
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等価交換ではない。
等価交換ではない。 感謝でやってくる。 条件を手渡すのではない。 その人のためにと愛を形で与えること。 はじめから等価交換を求めるところに、これはない。 そして最後にやってくる、ご縁のしくみ。 愛の目方を計測できるだろうか。 それをしようと数字を見せる人の魂胆は、裏に大きなものを待ち構えていて、多くの交換条件を求めている。 本人もそのことに気づいてはいない。
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幸不幸にとらわれ歩き、見流すことすべて、当たり前のつまらない景色のようだが、とれひとつとして、自分で生み出せない奇跡。
幸不幸にとらわれ歩き、見流すことすべて、当たり前のつまらない景色のようだが、とれひとつとして、自分で生み出せない奇跡。
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良心をうかがいベストを尽くしてお任せするしかない。
良心をうかがいベストを尽くしてお任せするしかない。
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すべては失敗につながる。
すべては失敗につながる。 良いと思えば次には失望がやってくる。 つまり、どんな偉大なことも、すべて失敗だとも言える。 生きている限り、ひとは失敗しつづける。 それまでの良い過去すべてがその原因か? そうではなく、その失望は、学ばせてくれる。 どんな失敗にも神は応え、正しい結果を、教える。 得ることは失うこと。 何を得ても悩みは尽きない。 ほんとうの心持ちとは何かを、ことあるごとに、気づかせてくれる。 それを嫌えば、正しい結果を受け入れることなく、ほんとうの心持ちにも出会えない。
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自分の汚点は他者を助ける。
自分の汚点は他者を助ける。
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何回、どれだけ、明日もそれを求めれば、気がすむ?
何回、どれだけ、明日もそれを求めれば、気がすむ? そのとき限りと思うこと。 ほんとにそうかもしれないのだから。 その瞬間に大きく感謝すること。 全ては終わる、別れることになる。 もっとしてもらいたい、ではない。 ここまでしてもらえた、と感謝すること。 その想いをつむぐため、自分もまた、誰かにしてあげること。 もう、これからは、いかに手にするかではない。 いかに手放すか。 手放したこととは、世界にしてあげるために手放したこと。
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息はここで終わりとはならないのと同じく、仕事もここで終わりとはならない。
息はここで終わりとはならないのと同じく、仕事もここで終わりとはならない。 生きていれば、いろんな仕事が来る。いろんな役割、立場、いろいろと。
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ひとつの視点では問題を理解できない。
ひとつの視点では問題を理解できない。 なぜなら人は自分が正しいと思うから。 ふたつの視点では原因を理解できない。 なぜなら自分は正しいと思っている人しか相手にできないから。 みっつの視点では真実を理解できない。 なぜならふたつのうちどちらか正しいと思えるほうの味方にならければならないから。 よっつの視点では共通点を理解できない。 なぜなら派閥ができあがるから。 いつつの視点では個人を理解できない。 なぜなら異なる派閥という規模感が個人を見失わせるから。 より多くの視点では個性を理解できない。 なぜなら派閥を統一しようという支配により個人の理解力を奪うから。 問題などはじめからない。 同じものなどなにひとつない。 つまり答えなどない。 お手本もない。 事実だけが横たわる。 過去は過去であり、再現はされないこと。 未来は空白であり、最適解はないこと。 どちらも手放さなければ、今ある奇跡を見失うこと。 これら事実に反することは、理にかなわないこと。 これが人に、問題を生み続けさせ、その人を答えやお手本を求め続ける鬼とさせる。 そもそもの問題は、自分に問題はなく、外に問題があるとするところにある。あるいは自分の味方に問題はなく、それ以外にあるのだと。 まず自分の問題を片付けること。 さて、自分の問題とは? 人は誰しもが、恵まれたい富み栄えたいと願う。だがおおむね結果はこのように述べたことになる。 いつかきっとの富を願う限り、本当に富むことはない。本当の富とは今を失わず、今ここに共にある存在に気づくことにある。 この世界は様々な物事が空間を満たしており、十分に恵まれていて、富み栄えている。 生老病死をどのような形にするかは、この事実に対する態度で決まる。 過去に時間をかけて積まれた物事が今を作り出した。それらが変わるには時間がかかる。 だから今を気づき感謝して、かつ手放すこと。時間をかけて生きること。 今これからもやはり時間をかけて積むこと。 全て感謝し手放して、しかし忘れず。 今が永遠に続くことはなく儚いということを忘れてはならない。それが生きる者にとっての当然の事実。 こうした問題が自分にあると気づかないことか問題である。 このことに気づくと、問題は最速で解決されてゆく。 この問題を抱えているのは、相手も、自分もである。自分も、相手とである。まずは気づいたものから変わること。これを受け入れ変化しようと始めれば相手も感応してゆく。だから戦ってはならない。 相手に変わるべきところを見たら、自分が変わること。そのうえでもし相手に変わるべきところを見たら、やはり自分が変わること。 だがそうしてお互いを思いやっても、その場の共通の行いが世界への思いやりでなければ、通じない。通じないのに続ければ、それは思いやりの気持ちを大切にする良心につけこまれ、やがて執着に変わる。 それはまるで、現状の不満から戦いを選んだ者が、それを苦しみながらも支える周囲に対して、現状に満足せよと説くようなもの。言動が一致しない。 こうしてあらゆることを消去してゆくと、たったひとつの真実がのこる。そこを出発点として、あらゆる形が説かれる。そうしてまた視点が増えてゆく。そして出発点を見失えば、また問題となる。 たったひとつの真実を忘れないこと。それは生かされている事実を忘れず、感謝すること。
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愛は求めることはできない。
愛は求めることはできない。 与えることしかできない。 感謝もそう、何もかもがそう。 元来無一文。