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人を愛せるようになることに、自分にとっての他人の条件はいらない。

人を愛せるようになることに、自分にとっての他人の条件はいらない。 人は一人ではじまり、一人でおわる。 各自が一人旅、そのうえで縁あり愛し合う。 自分を無条件に愛して、その自分で人を愛する、足りないものはなく、欠けるものはない。





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経験を中心に考えるとき。

経験を中心に考えるとき。 知らないことがあるのに、それを知ろうとせず、知っていることだけでなんとかしようとしているとき。 必要なことを知った後、なにかがひとつ、わかり、行動につながる。 経験はたくさんの情報量で、大切な財産だけど、それはいつも正解ではなく、足りない正解だからこそ、たくさん蓄積されていく。 それが次の変化の最善に繋がるかを左右するのは、自分の姿勢と、新しい情報。 忙殺されて自分を守りたくなって慢心すると、過去の経験を中心にしてしまう。 過去の経験を中心に話してわかってもらえることに、慢心を満たす安心を感じて、感謝する。 慰めならそれもいいけど、現場の本番ではダメだと思います。 危険信号のライトが赤々と光っているように見える。 その感謝はどういう感謝なのかを見つめること、何から目をそらしているのかがわかる。 知るべきことは引き出す、知ろうとする人には情報を伝える。 それを阻む壁を壊す。 ぶっちゃけて後から伝えるのは、慢心から来る行動の遅れの、わかりやすい形だと思います。 最初に伝えるべき情報なのに、伝えずにいるのは、何がそれを壁となって邪魔してるのか。 甘えても、恐れても、自己保身で弁護しても、なにも解決しない。 どんなに経験や実績があっても、死ぬまで未熟者だと思います。 そこには職業の優劣は無い、天職なんてない。 個人が世界を救うことはできない、みんなが力を合わせるしかない。 過去の経験も知恵を活かすとは、どういうことか。 慰めの救世主はなにも解決しない。 深刻に構えず、子供のように無邪気に、未熟な経験と知恵を脇に置いて、気になることを嬉々として知ろうとすることは、大切なこと。思わされる年明けでした。 そのとき後悔は、感謝と赦しに変わる。 それを邪魔するのはいつも自分の慢心で、周囲に影を落としてゆく。



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お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。

お年寄りすら、お坊さんすら、大切なことを忘れて、教えられなくなる。 すると若くて何でもない子が、それを学ばざるを得なくなり、まるで年寄りでお坊さんのような子になる。 これは物事の流れ、順序、成り立ちから言って、自然なことであり、特別なことではない。



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物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。

物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。 そこには個人としての世界しかなく、強引さ、極端さにしかならない。 それは物事への成り立ちを与えない。 個人としての経験の後で正しさを身につけたとしても、その自我を手放す言動がなければ、手放す機会も生まれない。 そのような者を打ち負かそうとすれば、自分もその小さな戦いへと縮こまってゆく。 そのような者たちが世界に普遍的なものを広め流すことはない。 私たちは粛々と、良心のもと、謙虚さのもと、そのような偏りを手放して、任せて、最善を尽くせばいい。