物の見方の偏りは、どれだけ正しいことを言って進めても、広がらない。
そこには個人としての世界しかなく、強引さ、極端さにしかならない。
それは物事への成り立ちを与えない。
個人としての経験の後で正しさを身につけたとしても、その自我を手放す言動がなければ、手放す機会も生まれない。
そのような者を打ち負かそうとすれば、自分もその小さな戦いへと縮こまってゆく。
そのような者たちが世界に普遍的なものを広め流すことはない。
私たちは粛々と、良心のもと、謙虚さのもと、そのような偏りを手放して、任せて、最善を尽くせばいい。