ひとつを一心不乱に信じるのなら、ほかの道を否定する必要はない。 ほかの道を否定するなら、すでにそれは信心ではない。 自分の迷いを手放さない、自我にとどまりたい、そのために教えを利用しているに過ぎない。 困難さ、多さ、長さ、それを比べて勝ち誇る物差しとするのは、自我の行い。
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とんなに素晴らしいものも、他の真実や可能性を否定する、ひとつの見方に偏れば、自我の道具に成り下がる。
とんなに素晴らしいものも、他の真実や可能性を否定する、ひとつの見方に偏れば、自我の道具に成り下がる。
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優れているかどうかの判定は、それよりも優れた者にしかできない。
優れているかどうかの判定は、それよりも優れた者にしかできない。 謙虚さや勤勉さを装った自我の強さに、真実は隠される。
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宗教的な世界に誘うものは真実ではない。
宗教的な世界に誘うものは真実ではない。 現実の生活の感覚にあってこそ真実。
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自分がわからないことを自分の間違いだとするのは、至らなさを認めないことのすり替えである。
自分がわからないことを自分の間違いだとするのは、至らなさを認めないことのすり替えである。 正しい間違い、合う合わない、向き不向き、ではない。 一番の痛手がそこにあるが、一番受け入れなくてはならないものでもある。 至らないのであれば、それは至らない、ただそれだけ。
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罪悪感に訴えるような指摘をする者は、相手がそこから反れる良心を我欲に利用する。
罪悪感に訴えるような指摘をする者は、相手がそこから反れる良心を我欲に利用する。 相手の神を信じず敬わず奪い、罪をかぶせることで相手のそれらの自信も奪い、相手の神への目を眩ませる。 そこから反れた先の場所で待ち構え、我が物にしようとする。 低い場所で浅い欲を集める場に引き込もうとする。 巧みに知恵と知識と経験といった我の力を振りかざし、追い立てる。 そのような、不徳や不道徳を指摘しての断罪を受け入れてはならない。 何故ならその者は、相手を不徳と扱い、不道徳と扱い、そのように貶めるから。 そのような価値観しか持たないのだから。 不干渉を尽くし、また、同じようなことをしてはならない。
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自分に全責任を置き向上するには、他の責任にならないよう、他への配慮がまずあってこそ。
自分に全責任を置き向上するには、他の責任にならないよう、他への配慮がまずあってこそ。 それがそまま自分に全責任を置くことにもなる。
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素晴らしい環境に触れて、過去にあった同じような素晴らしいひと時を思い出すのは、懐古ではない。
素晴らしい環境に触れて、過去にあった同じような素晴らしいひと時を思い出すのは、懐古ではない。 同じような素晴らしさを、今また感じて、それが同じような過去を思い出させたから。 まぎれもなく今を生きている証。 今も昔も素晴らしい普遍的な恩寵を味わい、感謝すること。
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相手に同調したり好かれたりするための奉仕ではない。
相手に同調したり好かれたりするための奉仕ではない。 相手の自我のためではなく、自分の自我の確立ためでもない。 自分を失わず、平安と愛と真実と道徳のために行う。 相手を真に喜ばせて奉仕するとはどんなことか。
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嘘をついて金銭や善悪を勝ち取ろうとし、思い通りにならなければ、嘘の通りにならないことを問題と考える。
嘘をついて金銭や善悪を勝ち取ろうとし、思い通りにならなければ、嘘の通りにならないことを問題と考える。 様々な問題を探して、感情でのみ似ている部分を結びつける。 相手を敵視する感情と、自身の嘘の責任から逃げる自我の感情だけが、結びつける。
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神縁は束縛しない。
神縁は束縛しない。 神な全てに繋がっている、それを繋げてくれるものへと自分から歩むこと。 行く先々で神への感謝を置いてゆくのみ。
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見返りを求める悪霊が愛や徳を失わせるように、人もまた同じ。
見返りを求める悪霊が愛や徳を失わせるように、人もまた同じ。 相手への世話や助けに見返りを求めてはならない。 それは我欲に力を集めようとし、相手の愛や徳を枯らす。 生煮えを食べるがごとし。 見返りを求めずとも、まわりまわって生かされるもの。 社会の仕組みが良ければそれは程よく循環する。 そのために撒かれるお金という道具を、どう見るか。 木の葉のように撒かれるものに、木の葉となんの違いがあろうか。 そこに世の循環のためつかってくれとのお国の約束事がある。
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助けてもらえたから感謝する大事にするというのは、人を損得勘定でしか大事にしないこと。
助けてもらえたから感謝する大事にするというのは、人を損得勘定でしか大事にしないこと。
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問題を敵視して悪口を言って遠ざければ勝つ、というのは問題のまま。
問題を敵視して悪口を言って遠ざければ勝つ、というのは問題のまま。 問題は自分にあり、それを認めることが解決に向かう。 つまり相手を赦せないのも当たり前のこと。 自分と向き合い自分を赦すこと。 自分と向き合うことが、自分の道へ歩ませ、他者を生かす。 自分の道に向かうというのは、欲や敵に向かうこと。 道は向かうものではない。 自分と向き合い自分を生きる者の歩みである。
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一人の既得で飛び抜けたものでも、一人分に過ぎない。
一人の既得で飛び抜けたものでも、一人分に過ぎない。 それよりも多くの人たちの手本となり無理なく広まることがよい。