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経験を中心に考えるとき。

経験を中心に考えるとき。
知らないことがあるのに、それを知ろうとせず、知っていることだけでなんとかしようとしているとき。

必要なことを知った後、なにかがひとつ、わかり、行動につながる。
経験はたくさんの情報量で、大切な財産だけど、それはいつも正解ではなく、足りない正解だからこそ、たくさん蓄積されていく。
それが次の変化の最善に繋がるかを左右するのは、自分の姿勢と、新しい情報。
忙殺されて自分を守りたくなって慢心すると、過去の経験を中心にしてしまう。

過去の経験を中心に話してわかってもらえることに、慢心を満たす安心を感じて、感謝する。
慰めならそれもいいけど、現場の本番ではダメだと思います。
危険信号のライトが赤々と光っているように見える。
その感謝はどういう感謝なのかを見つめること、何から目をそらしているのかがわかる。

知るべきことは引き出す、知ろうとする人には情報を伝える。
それを阻む壁を壊す。

ぶっちゃけて後から伝えるのは、慢心から来る行動の遅れの、わかりやすい形だと思います。
最初に伝えるべき情報なのに、伝えずにいるのは、何がそれを壁となって邪魔してるのか。
甘えても、恐れても、自己保身で弁護しても、なにも解決しない。

どんなに経験や実績があっても、死ぬまで未熟者だと思います。
そこには職業の優劣は無い、天職なんてない。
個人が世界を救うことはできない、みんなが力を合わせるしかない。
過去の経験も知恵を活かすとは、どういうことか。
慰めの救世主はなにも解決しない。

深刻に構えず、子供のように無邪気に、未熟な経験と知恵を脇に置いて、気になることを嬉々として知ろうとすることは、大切なこと。思わされる年明けでした。

そのとき後悔は、感謝と赦しに変わる。
それを邪魔するのはいつも自分の慢心で、周囲に影を落としてゆく。

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