素晴らしい環境に触れて、過去にあった同じような素晴らしいひと時を思い出すのは、懐古ではない。 同じような素晴らしさを、今また感じて、それが同じような過去を思い出させたから。 まぎれもなく今を生きている証。 今も昔も素晴らしい普遍的な恩寵を味わい、感謝すること。
月別: 2019年1月
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相手に同調したり好かれたりするための奉仕ではない。
相手に同調したり好かれたりするための奉仕ではない。 相手の自我のためではなく、自分の自我の確立ためでもない。 自分を失わず、平安と愛と真実と道徳のために行う。 相手を真に喜ばせて奉仕するとはどんなことか。
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嘘をついて金銭や善悪を勝ち取ろうとし、思い通りにならなければ、嘘の通りにならないことを問題と考える。
嘘をついて金銭や善悪を勝ち取ろうとし、思い通りにならなければ、嘘の通りにならないことを問題と考える。 様々な問題を探して、感情でのみ似ている部分を結びつける。 相手を敵視する感情と、自身の嘘の責任から逃げる自我の感情だけが、結びつける。
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神縁は束縛しない。
神縁は束縛しない。 神な全てに繋がっている、それを繋げてくれるものへと自分から歩むこと。 行く先々で神への感謝を置いてゆくのみ。
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見返りを求める悪霊が愛や徳を失わせるように、人もまた同じ。
見返りを求める悪霊が愛や徳を失わせるように、人もまた同じ。 相手への世話や助けに見返りを求めてはならない。 それは我欲に力を集めようとし、相手の愛や徳を枯らす。 生煮えを食べるがごとし。 見返りを求めずとも、まわりまわって生かされるもの。 社会の仕組みが良ければそれは程よく循環する。 そのために撒かれるお金という道具を、どう見るか。 木の葉のように撒かれるものに、木の葉となんの違いがあろうか。 そこに世の循環のためつかってくれとのお国の約束事がある。
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助けてもらえたから感謝する大事にするというのは、人を損得勘定でしか大事にしないこと。
助けてもらえたから感謝する大事にするというのは、人を損得勘定でしか大事にしないこと。
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問題を敵視して悪口を言って遠ざければ勝つ、というのは問題のまま。
問題を敵視して悪口を言って遠ざければ勝つ、というのは問題のまま。 問題は自分にあり、それを認めることが解決に向かう。 つまり相手を赦せないのも当たり前のこと。 自分と向き合い自分を赦すこと。 自分と向き合うことが、自分の道へ歩ませ、他者を生かす。 自分の道に向かうというのは、欲や敵に向かうこと。 道は向かうものではない。 自分と向き合い自分を生きる者の歩みである。
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一人の既得で飛び抜けたものでも、一人分に過ぎない。
一人の既得で飛び抜けたものでも、一人分に過ぎない。 それよりも多くの人たちの手本となり無理なく広まることがよい。
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人それぞれだが、人みな同じでもあることが形を変えて表現されること。
人それぞれだが、人みな同じでもあることが形を変えて表現されること。 自分の一人よがりを心配する者は大丈夫。 他人の一人よがりを心配する者は自分のそのような価値観で世界を見ている。
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仕方がないというのは、万事を尽くした後の無力を受け入れるときのもの。
仕方がないというのは、万事を尽くした後の無力を受け入れるときのもの。 なにもせず初めから使うものではない。
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他者の喜びを否定する節約は、独善が他者を支配し、他者を善くするものとはならない。
他者の喜びを否定する節約は、独善が他者を支配し、他者を善くするものとはならない。 にもかかわらず信じさせ賛美させることが自主的な追従と思い込ませる支配の力となる。 それによって世にもたらすものが真に人のためかは疑わしい。 毒を売るものは毒を飲まない。 毒を飲むことしか喜びはないと誤解し、毒となる喜びしか知らない。 善行を自慢するする者は慢心のかたまり。 その言動は裏に善を隠すものを持つ。 そのためには善と錯覚させる言動を必要とする。
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自分の軸が中心に正しくなるほど、周囲の傍若無人は遠心力を増す。
自分の軸が中心に正しくなるほど、周囲の傍若無人は遠心力を増す。 それを変わらず愛し続けて耐えられるかを試されることになる。 やがて軸をぶらす言動は行き場を失い、収まって行く。
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寂しがることはない、そこにはいつも自分がいる。
寂しがることはない、そこにはいつも自分がいる。 自我はそれを忘れたときに、別なものを欲しがり、自分を欲しがる。 すでにあるのにも関わらず。
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敵を探して自分の正しさを探すかぎり、自分を生きず、人生を無駄にする。
敵を探して自分の正しさを探すかぎり、自分を生きず、人生を無駄にする。 敵も味方も自分も同じ人であり、敵の過ちは自分にもありえること。 その正しさは間違いがあり、嘘があり、無理があり、愛と良心を忘れさせる。 こじれて、やがてそれは自分を生きられないことの恨みとなる。 その恨みをぶつける敵を探して、悪循環となる。
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人が自我の塊で傲慢で未熟で嘘つきで間違いだらけとわかったから、どうだというのだ。
人が自我の塊で傲慢で未熟で嘘つきで間違いだらけとわかったから、どうだというのだ。 それでも愛さずにはいられないことと、その愛に応えるお互いの心のみを見られればそれが全てではないか。 何のためにこの、あっという間に終わる人生を授かったのか。 完璧になどなれはせず、しかしその中にある愛の主人は最初から完璧。 それと出会い、それを見合う生き方をするために。 そのとき傲慢や未熟や嘘や間違いは、乗り越えられて、愛のための試練だったことになる。 完璧になるために乗り越えるのではない。 完璧になるため乗り越えるなら、この世の全ての傲慢や未熟嘘や間違いを無限に生きなくてはならないが、それはできないこと。