人が自我の塊で傲慢で未熟で嘘つきで間違いだらけとわかったから、どうだというのだ。
それでも愛さずにはいられないことと、その愛に応えるお互いの心のみを見られればそれが全てではないか。
何のためにこの、あっという間に終わる人生を授かったのか。
完璧になどなれはせず、しかしその中にある愛の主人は最初から完璧。
それと出会い、それを見合う生き方をするために。
そのとき傲慢や未熟や嘘や間違いは、乗り越えられて、愛のための試練だったことになる。
完璧になるために乗り越えるのではない。
完璧になるため乗り越えるなら、この世の全ての傲慢や未熟嘘や間違いを無限に生きなくてはならないが、それはできないこと。