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人が違うことの真実とは、協力することで成り立つ、学び合い教え合う、違いは変化する。

人が違うことの真実とは、協力することで成り立つ、学び合い教え合う、違いは変化する。 ただ未熟で知らないことが違いを生む。 子供と大人の違いのように。 大人同士であっても、共有すべき知識や知恵を、自我で抵抗して学ばないのは、違いではない。 それは共有している土台や真実に、感謝がない。 それはすべて自分でやっているという誤解。 子供の頃は素直に学ぶが、大人になると慢心して失う。 それは小さく凝り固まった癖であり、それぞれ違う真価を発揮できない。 どんな精巧な歯車も、噛み合わず一人で回転しているなら、まったく意味はない。 お互いの違いを自慢して感心することに意味はない。 謙虚に素直に学ぶこと。 それがいずれ、自我が邪魔して隠れる真の姿を表に出すことになる。 それでも出て来るのが個性や違い。 個性は変化する、子供が大人になるように、成長してゆく。 間違っても凝り固まるものではない、そうなれば個性は死に、ただ古臭く魂の抜けた無用の長物となる。



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責任とは、あらゆる手段をもって本来の目的に果たすことであり、それを絶って放棄することではない。

責任とは、あらゆる手段をもって本来の目的に果たすことであり、それを絶って放棄することではない。 積極的に関わり続ける。 失敗したなら手段を変える。 間違っていたなら修正する。 本来の目的を見失わず明確にする。 終了地点のひとつの結果よりも、過程が生み出す多くの結果ひとつひとつを大切にする。 終了地点はひとつの過程でしかない。 真の継続とは形を変え続けること。 人が成長するのと同じこと。 責任感の強さは、その命がけの覚悟とのこと。 自我の強さや、終了地点のひとつの結果に悩むことではない。 責任の強さが継続に結びつかないと思う時とは、責任とはなにかをわからなき状態。




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はたらくために食べる、食べるために働く、どちらなのかという議論には、欠けているものがある。

はたらくために食べる、食べるために働く、どちらなのかという議論には、欠けているものがある。 生かされているから、働かせていただけるし、食べさせていただける。 働けることによる学びと成長。 食べられることによる学びと成長。 どちらも感謝の糧となり、自身の成長を与えてくれる。 どう働くか、どう食べるか。 なにがどうやって仕事を与えられ役割を求められるか。 なにがどうやって食物を与えられ食物を求められるか。 そこには自分以外の多くの見えない活躍がある。 仕事や食べること以外の物事も同じこと。 仕事が不要で食べることも不要な者がいたとしても、そこは変わりない。 すべて自分でやっているという感謝の無い錯覚が無くなるまで、不毛な議論は続く。



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見返り、報酬、自分の都合、それだけを行動の良し悪しの基準にする者は、良い基準を持つことができない。

見返り、報酬、自分の都合、それだけを行動の良し悪しの基準にする者は、良い基準を持つことができない。 良心が隠れきった状態にある。 それは世界を正しく見れない、論理性のなさをもたらす。 なぜなら、闇のなか何も見えず、自己都合の身勝手な解釈と、邪推しかないから。 目の前のものが見えなければ、物が聞こえなければ、それを正確に受け取ることは不可能。 そこから論理性の欠落が生まれる。 説得されても、それを検証するものが手元にない。 わずかに隙間をこじあけて世界を見せて検証させても、すぐさま閉じてしまい、元に戻る。 そこはこちらの良心と誠実さで接し続けるしかない。 その肌感覚だけが頼り。 それさえ絶えてしまえば、目に見えない何かにしか、もう何もできない。 それでも思いやること、気持ちを送ること。 遠くの太陽の熱で地表の氷を溶かすことはできるように。 気が遠くなるとしても、やること。 そして、それこそが、全てを生かしている。 自我をいつか溶かして焼き尽くす力にもなってゆく。 一人一人が太陽のように愛すること、それこそ見返りも報酬もなく。 だがそれができる者は、目開きの者たちに助けられてゆくだろう。 見返りや報酬は期待せずとも、やってくる。 そしてさらにそれを土台に、努めることとなる。 そこに発展が生まれてゆく。


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変化なき停滞は、そこに自分の希望で変化と方向性をつけられる、絶好の機会。

変化なき停滞は、そこに自分の希望で変化と方向性をつけられる、絶好の機会。 こんなときほど、感謝と、思いやりと、希望をささげることに集中できて、ほんとうの良心で満たされる。 そしてその良心から、小さな行動を積み重ねることができる。 ふだんはこれが難しい、人は良心よりも、激しい変化の中で騙されて欲にまみれて騒ぐ方に、巻き込まれやすいから。 停滞にある静けさに、内省と良心を内側に見つめる心の時間を持つこと。 それが生きる理由であり、まさにそれを発揮するとき。 感謝せずにはいられず、思いやることもせずにはいられない。 そんな自分の姿に感銘を受けた全てが自分を後押しするような、淡い確信が、生き物として、湧く。 そんな自分には希望を感じずにはいられず、良心を発揮せずにいられない。




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人を見下す者は、優れているからではない。

人を見下す者は、優れているからではない。 自分が劣っていて、その価値基準と理解力で他人を評価するから、他人も劣って見える。 なんでも理解できると考えて、小さく間違った浅はかな理解を語る。 人は自分より優れたものを理解できない。 できることは敬うのみ。 それを知ることは優れている。