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はたらくために食べる、食べるために働く、どちらなのかという議論には、欠けているものがある。

はたらくために食べる、食べるために働く、どちらなのかという議論には、欠けているものがある。
生かされているから、働かせていただけるし、食べさせていただける。
働けることによる学びと成長。
食べられることによる学びと成長。
どちらも感謝の糧となり、自身の成長を与えてくれる。
どう働くか、どう食べるか。
なにがどうやって仕事を与えられ役割を求められるか。
なにがどうやって食物を与えられ食物を求められるか。
そこには自分以外の多くの見えない活躍がある。
仕事や食べること以外の物事も同じこと。
仕事が不要で食べることも不要な者がいたとしても、そこは変わりない。
すべて自分でやっているという感謝の無い錯覚が無くなるまで、不毛な議論は続く。

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