新しいものを疑う時は、自我に焦点が向いているため、新しいものを弁護する一つの事例を、それしかないと可能性を狭めて捉える。 焦点を自我に絞らない者は、一つの事例が、あくまで例えの一つに過ぎず、その裏にある多くの可能性を想定すし感じ取る。
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目の前で褒めて裏で貶すのは、目の前の小さな範囲という自我を優先し、その裏にある世界の広さを見失っていることの表れ。
目の前で褒めて裏で貶すのは、目の前の小さな範囲という自我を優先し、その裏にある世界の広さを見失っていることの表れ。
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自己顕示欲は、自己を小さくさせる、自分一人にしか視野が届かなくなるために。
自己顕示欲は、自己を小さくさせる、自分一人にしか視野が届かなくなるために。
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研究と権威で正しさを証明したい者は、正しく見える平偏りだけを集めて、暗い影を大きくして小さな光に崇拝者を集まらせたいだけだ。
研究と権威で正しさを証明したい者は、正しく見える平偏りだけを集めて、暗い影を大きくして小さな光に崇拝者を集まらせたいだけだ。
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日常に真を見れなければ、自分以外の全てが偽に見える。
日常に真を見れなければ、自分以外の全てが偽に見える。
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人は、依存するのに手段や対象は選ばない。
人は、依存するのに手段や対象は選ばない。 それが天でも地獄でも同じこと。
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人が善く変わるには、柔らかく謙虚な年寄りを目指す。
人が善く変わるには、柔らかく謙虚な年寄りを目指す。 なぜなら過去の自分や今の自分を別人に変えようとしてもそれは現実に反した嘘でしかないし、変わるとすれば白紙の未来しかないから。 そしてその未来の最先または幸先は、柔らかく謙虚になることしかないから。
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自分の内側に向けば、外に依存しない。
自分の内側に向けば、外に依存しない。 だが奉仕するときは外側に向いて依存しがち。 外への奉仕のつもりが外へ負担をかける。 奉仕は無私を試される。 見返りも報酬もなく、与えるのみ。 自分の内側が真に生きてこそ、外へ与えられる。 だから自分の内側に向くとは、自分の我儘ではなく、無限の愛の分け御霊を預かっていることを大切にし、いつも共にあり、そこに愛を見出し、それを源に外を愛することである。
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生かされる感謝とは、ご先祖様や見えない神様といった縦だけではなく、他の人の仕事という横も対象。
生かされる感謝とは、ご先祖様や見えない神様といった縦だけではなく、他の人の仕事という横も対象。 それらが無ければ生かされない。
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どうあれ、恨みで心を毒につけても良いことは何もない。
どうあれ、恨みで心を毒につけても良いことは何もない。 忘れることはできないなら、すべてと抱き合わせで感謝すること。 恨みで生きていると、他の良いことも幸せに感じなくなってしまう。 しかしすべてに必ず混じり気はあるもの。
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人はなんでも我が物顔になる。
人はなんでも我が物顔になる。 泥棒でありながらそれを忘れている。 すべてはそれ自身のものであり、借り物でもある。 だから、それ自身のために何ができるかを、奮闘すること。 支配しないようにすること。 このためには、いつも忘れてはならない。 全ては借り物としてあてがわれ、有限で有難い。 有難う御座いますと、感謝すること。
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美しいものを普通にうつくしく思えるのは大切だが、そもそも、どんなものも美しい。
美しいものを普通にうつくしく思えるのは大切だが、そもそも、どんなものも美しい。 分け隔ては美しくない。
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自分のことばかり考える者は独りよがりを守ろうとする。
自分のことばかり考える者は独りよがりを守ろうとする。 なぜなら自分を知らないからだ。 知ることをおそれて独りよがりであろうとする。
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自分の気分で責めるのか、原因を責めるのか、考えるといい。
自分の気分で責めるのか、原因を責めるのか、考えるといい。 その気分を刺激した物事や人物を原因として責めるのは間違っている。 いずれその物事や人物が自分事なったとき、その素晴らしい行動がとれなくなる。 それはなんと狭く、不自由な、独りよがりの貧しい心だろうか。