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新しいものを疑う時は、自我に焦点が向いているため、新しいものを弁護する一つの事例を、それしかないと可能性を狭めて捉える。

新しいものを疑う時は、自我に焦点が向いているため、新しいものを弁護する一つの事例を、それしかないと可能性を狭めて捉える。 焦点を自我に絞らない者は、一つの事例が、あくまで例えの一つに過ぎず、その裏にある多くの可能性を想定すし感じ取る。







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人が善く変わるには、柔らかく謙虚な年寄りを目指す。

人が善く変わるには、柔らかく謙虚な年寄りを目指す。 なぜなら過去の自分や今の自分を別人に変えようとしてもそれは現実に反した嘘でしかないし、変わるとすれば白紙の未来しかないから。 そしてその未来の最先または幸先は、柔らかく謙虚になることしかないから。


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自分の内側に向けば、外に依存しない。

自分の内側に向けば、外に依存しない。 だが奉仕するときは外側に向いて依存しがち。 外への奉仕のつもりが外へ負担をかける。 奉仕は無私を試される。 見返りも報酬もなく、与えるのみ。 自分の内側が真に生きてこそ、外へ与えられる。 だから自分の内側に向くとは、自分の我儘ではなく、無限の愛の分け御霊を預かっていることを大切にし、いつも共にあり、そこに愛を見出し、それを源に外を愛することである。





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人はなんでも我が物顔になる。

人はなんでも我が物顔になる。 泥棒でありながらそれを忘れている。 すべてはそれ自身のものであり、借り物でもある。 だから、それ自身のために何ができるかを、奮闘すること。 支配しないようにすること。 このためには、いつも忘れてはならない。 全ては借り物としてあてがわれ、有限で有難い。 有難う御座いますと、感謝すること。




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自分の気分で責めるのか、原因を責めるのか、考えるといい。

自分の気分で責めるのか、原因を責めるのか、考えるといい。 その気分を刺激した物事や人物を原因として責めるのは間違っている。 いずれその物事や人物が自分事なったとき、その素晴らしい行動がとれなくなる。 それはなんと狭く、不自由な、独りよがりの貧しい心だろうか。