真実に耳を塞ぐと、良心にも耳を塞ぐ。
自我のためだけに走り回る者は、自他の良心を隠すために、どんな嘘も真実のように語る。
だがそのすべてが真実ではない。
それに自他が気づく時はあるか?
ないかもしれない。
だが良心は知っている。
だからこそ自我は抵抗し、常に不幸を感じさせ、なおのこと良心を隠そうとする。
地獄がそこにある。
いっときは天にも昇る心地で幸せかもしれない。
だがそれは幻で、いつか消え去る時、叩きつけられる時が来る。
終わらない後悔がやってくる。
そうならないために、真実に耳を塞がないこと。
自他の真実を隠す嘘をつかないこと。
そのうえでの嘘の方便は必要と言うこともできる。
真実を認識して作る嘘は嘘ではなく、回避や迂回にすぎない。