見返りは期待せず、社会に貢献できますようにと祈り信じて良心で行動する。 それが通じれば必ずそれは自分にも還る道理。 還っても還らなくても祈り信じて良心で行動できるよう、向上を目指すことに変わりはない。 あとは道理が決めること。 今こうして受け取っていることに気づき、感謝するのみ。
月別: 2018年3月
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履行させることにこだわり、履行することを逃れる者は、他者を道具にしたいだけ。
履行させることにこだわり、履行することを逃れる者は、他者を道具にしたいだけ。 その言動に論理はあっても嘘の論理である。
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正直に話すとは、文字通り、正しく真っ直ぐ話すこと。
正直に話すとは、文字通り、正しく真っ直ぐ話すこと。 自我の我儘という縮こまった歪んだものを話すことでは無い。
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覚悟が無い者の気遣いや誠実さは全てが嘘となる。
覚悟が無い者の気遣いや誠実さは全てが嘘となる。 表向きは良く見せて自分の考えや身だけを守りたいだけだから。
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嘘をつかないということは、真実の認識と、表現に、ずれがないことである。
嘘をつかないということは、真実の認識と、表現に、ずれがないことである。 正しく混乱なく歪みなく誤魔化しなく、正確に生理が機能することを言う。 誰しも無自覚に嘘をつく。 これを自覚に変えて行くところに、良心は不可欠。 言動を正すことにつながる。 まず良心のための言動を取ること。 それが自分の自我や都合に反して、自我に不満で不足だとしても。 それはかえって、本当に自身を満たし、自我もまた良い形で生かされることになる。
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真実に耳を塞ぐと、良心にも耳を塞ぐ。
真実に耳を塞ぐと、良心にも耳を塞ぐ。 自我のためだけに走り回る者は、自他の良心を隠すために、どんな嘘も真実のように語る。 だがそのすべてが真実ではない。 それに自他が気づく時はあるか? ないかもしれない。 だが良心は知っている。 だからこそ自我は抵抗し、常に不幸を感じさせ、なおのこと良心を隠そうとする。 地獄がそこにある。 いっときは天にも昇る心地で幸せかもしれない。 だがそれは幻で、いつか消え去る時、叩きつけられる時が来る。 終わらない後悔がやってくる。 そうならないために、真実に耳を塞がないこと。 自他の真実を隠す嘘をつかないこと。 そのうえでの嘘の方便は必要と言うこともできる。 真実を認識して作る嘘は嘘ではなく、回避や迂回にすぎない。
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何事も一人でやるものではない。
何事も一人でやるものではない。 自分の達成感や充実のためだけに仕事をしても、それは半人前。 それ以外の物事に不満を感じたりするなら、そのぶんだけ半人前。
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自覚していることは解決に向かって働くことができる。
自覚していることは解決に向かって働くことができる。 自覚がなければ欠けている。 欠けたものを含まない要素だけで組み立てた完璧な論理は、欠けたものを見えなくする。 それは良心に痛みを感じさせる。 完璧な論理を第一優先とする場を取り繕えば、その痛みを間違いだと説き伏せてしまう。 だから自覚がない者は完璧な論理を好む。 その論理に反すれば、それは自我の産物だと言う。 本当に論理を愛する者なら、論理には常にこうした見落としがあると考える。 そしてそれを見つけるためにこそ論理を使う。
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批判するのは、そこに我をはさむから。
批判するのは、そこに我をはさむから。 我をはさまず、公平に知ろうとし、観察し、関わること。
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楽しく充実していて、自分が世界の中心に思える時、周囲に与える悲しみには気づかない。
楽しく充実していて、自分が世界の中心に思える時、周囲に与える悲しみには気づかない。 しかしこれは悲しく虚しくても、同じこと。 このような盲目にいつでも陥ることを自覚して、最善を尽くすこと。
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夢で得た幸せや平安は、それだけを胸に残すこと。
夢で得た幸せや平安は、それだけを胸に残すこと。 夢はあくまで非現実的な夢でしかない。 肝心は、胸に残した幸せと平安。 それをいつも胸に、忘れずに、そこにつながる言動を取ること。
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予言通りに動きたいというのは予定調和を逃げ道にしたいだけの、成長のない考え方。
予言通りに動きたいというのは予定調和を逃げ道にしたいだけの、成長のない考え方。
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大金を稼ぐ者の欠点短所が生み出す因果応報は、稼ぎが少ない者でも同じ。
大金を稼ぐ者の欠点短所が生み出す因果応報は、稼ぎが少ない者でも同じ。 大金を稼ぐ者の優れた点を否定することはできないし、欠点を大金を責める正当な理由にもできない。 しかしそれは逆に、稼ぎが少ない者でも変わらない。 つまり大金を稼ぐ理由が、他者の欠点や不満を否定したり責めることから始まっていたなら、それも同じこと。 そのようか者が結果としてもたらすとは、以前の何も変わりはしない。 ただ自分の自我の満足の、きりがない飢えのために戦っているだけでしかない。 そのような者に近づいてはならない。 その者の見せかけの成果に目がくらみ、何も変わらない者が無理に集める大金の源泉となるだけのこと。 そしてその負の責任を、その者は取ろうとしない。 見せかけの正当性は、何も変える力はない。 それは実際に手渡されるものとは異なる、客寄せの宣伝広告でしかない。
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失敗の経験がなければ、どこからが失敗かを判断できない。
失敗の経験がなければ、どこからが失敗かを判断できない。 失敗が成功への道であることもわからない。 ふつう失敗は過ぎ去り、成功結果が残る。 失敗は忘れやすく、見えにくい。 だがそれは本人には自覚できること。 失敗をあえて隠したり、無いと言い張る者は、他者から奪うために嘘をつく詐欺師。 そのような者の、成功の実績を材料にした、まことしやかな理屈の言葉は、その裏に嘘が多い広告塔にすぎない。 そのような者に近づいてはならない。
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邪推ばかりする者は、自身の良心が隠れていて、邪推しか浮かばない。
邪推ばかりする者は、自身の良心が隠れていて、邪推しか浮かばない。 そして自我に都合の良いことしか評価しない。