悪いことは赦したい。 良いことは覚えておきたい。 それは自分自身を良いことで染めてあげたいという愛から。 悪いことばかり覚えていれば、良いことは忘れてゆく。 それは赦さない心が、見境をなくすこと。
月別: 2018年2月
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身の内に不幸ご起こってから気づいても遅い。
身の内に不幸ご起こってから気づいても遅い。 他者の教訓を参考にすること。 気づかない者はそもそも自分に置き換えられない。 身の内に置き換えるとよい。
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仕事を作り与えるのは、任せることから。
仕事を作り与えるのは、任せることから。
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近縁の者、遠縁の者、それぞれ自分への見方は異なる。
近縁の者、遠縁の者、それぞれ自分への見方は異なる。 あらゆる視点を受け入れる心が、自分の内省につながる。
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見えないものを土台に見えるものに取り組めば、狭さや偏りを取り払う。
見えないものを土台に見えるものに取り組めば、狭さや偏りを取り払う。 見えるものを土台に見えないものに取り組めば、狭さや偏りを作り出す。 見える見えないの両方が大事。
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物事の実相や例外を認めないような狭い了見は、奴隷を生み出して抱えるのには好都合。
物事の実相や例外を認めないような狭い了見は、奴隷を生み出して抱えるのには好都合。 それしか信じるものがないように狭めることをいう。 そこに正しさは微塵もない。 本人が抱える問題の正当化にすぎない。 それはただひたすらに、自我である。 そしてそこからの我欲である。 無欲をうったえる者ほど、我欲にまみれている。 ほんとに無欲なら、実現できているのだから、わざわざうったえる必要はない。 他者に無欲を教えるのはいいが、了見を狭めるのはすでに無欲ではない。 他者の人生の隷属を自我の支えとするための強欲に他ならない。 そして、どんな鏡を使ったところで、その自覚もできない。 そして、こうしたことをまず自分自身について省みること。 他者を裁こうとするなら、その時点で自分がこうしたことに染まろうとしている。 他者をぞんざいに扱いつつ、他者の正誤善悪を気にするほど、自我は大きくなる。 他者を敬い、自分の正誤善悪を省みるほど、自我は小さくなる。 ほんとうに自分のことを考えるなら、そこに自我はない。 そこには他者と自分との比較、つまり自分の心を失っての正誤善悪の勝ち負けといった、自我の焦げつきはない。 そして、これは自他共にお互い様のことであり、それぞれの自分事であるから、自分がまず努めること。 お互いに依存するとは、手を引き合い変化を無くすか、足を引き合い悪い方へ変化する。 組織的な集団として、これを行なう。 引き上げ合う間柄は、お互いが手放しで各自で勤めて、お互いが敬うことにある。 そして必要があれば手を取り、不要となればすぐにでも手放せる、そうしたお互いの自由がある。 それは多様性のなかでの接点である。 それを失わせる束縛ではない。
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人の過去を責めても、過去は変わらない。
人の過去を責めても、過去は変わらない。 人は学び、変わる。 自分が学び変わらなければ、周囲の変化の歯車を止める。 どんな変化をしたいのか、それを良心で舵取りすること。 人はお互い様。 誰かを許せないなら、自分をまず省みて許すこと。 愛すること。 相手のことが苦しいのは、許さず愛さず、完璧を求めるから。 自分を許して愛して、その心で相手を許して愛すること。 その真逆をしてあゆみを止めるような時間の浪費は人生を無駄にする。
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感謝や慈しみに勉強も準備もない。
感謝や慈しみに勉強も準備もない。 今が常に本番。 本番には失敗もあれば過ちもあれど、今を常に逃げずにいるなら、その失敗や過ちは変化の色にすぎない。
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新しいものを生むことの価値は、その後に継続する流れにある。
新しいものを生むことの価値は、その後に継続する流れにある。 普遍性、探究心、といったもの。 その流れは線ではなく、扇のように広がり世界を息づかせて、潤してゆく。 ただ奪い我欲を集める猿真似だけの者の行いに、この価値はない。
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ただ放棄するのは片手落ち。
ただ放棄するのは片手落ち。 感謝を知り、手放しで楽しむこと。
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静観や客観とは、対岸の火事や、他人事、他人行儀、放棄ではない。
静観や客観とは、対岸の火事や、他人事、他人行儀、放棄ではない。 積極的な関わりの中で行えてこそである。 でなければ良心を踏みにじっても問題ないという理屈も通ることになる。
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本当のことを知りたいのなら、かけがえのないものを失い、愛を失い、などの泥にまみれて泥を知って濾過するような艱難辛苦を味わうことになる。
本当のことを知りたいのなら、かけがえのないものを失い、愛を失い、などの泥にまみれて泥を知って濾過するような艱難辛苦を味わうことになる。 不要な損失を自他に強いることになる。 本当のことなど知らなくても、良心を大事にすれば、実態は本当のことそのままとなる。 自分を省みず世界を変えようと周囲を断罪しようと怒りを抱き、身の程知らずの尊大な正義感を押し通すための勝敗にこだわれば、無駄な損益を生み出してしまう。 そのような事がなければ、そもそも、もともと、最善となる。 そしてその最善を見失わないようにして、その最善を全力を尽くすこと。 静観する客観性とは、そのようなこと。 けして対岸の火事のように他人行儀な世捨て人になることではない。
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お金より大切なもの、それは何のためにお金を稼ぐか。
お金より大切なもの、それは何のためにお金を稼ぐか。 それを今ないがしろにしながら、いつかはそのためにとお金のために走るなら、明らかな間違いを冒している。 未来などわからない、今しかないのだから。
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消費者はコンテンツを手軽に消費できるなら、場所を変えることも苦にしない。
消費者はコンテンツを手軽に消費できるなら、場所を変えることも苦にしない。 そのためプラットフォームは永続的ではないと思える。 しかしコンテンツ自体も飽きられるため、こちらも永続的ではないと思える。 しかし大手や大局から常に切り捨てられる少数派コンテンツは、変化の流れより、永続的な収束を願われる。そのプラットフォームも、永続的なことを求められる。 今やプラットフォームは駅前でなく、世界中に展開できる。 しかも個人であっても可能。 個人ならではのプラットフォームには永続的に愛されるものがあると言える。 それ自体が作家性になってゆく。
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信じるとは、盲目になることではない。
信じるとは、盲目になることではない。 盲目を必要とする信は、良心を隠してしまう。