本当のことを知りたいのなら、かけがえのないものを失い、愛を失い、などの泥にまみれて泥を知って濾過するような艱難辛苦を味わうことになる。
不要な損失を自他に強いることになる。
本当のことなど知らなくても、良心を大事にすれば、実態は本当のことそのままとなる。
自分を省みず世界を変えようと周囲を断罪しようと怒りを抱き、身の程知らずの尊大な正義感を押し通すための勝敗にこだわれば、無駄な損益を生み出してしまう。
そのような事がなければ、そもそも、もともと、最善となる。
そしてその最善を見失わないようにして、その最善を全力を尽くすこと。
静観する客観性とは、そのようなこと。
けして対岸の火事のように他人行儀な世捨て人になることではない。