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かけがえのない体験に恵まれていたことは、奢りにもなるが、自信にもなる。

かけがえのない体験に恵まれていたことは、奢りにもなるが、自信にもなる。 後になるほど有り難みがわかり、執着にもなるが、感謝にもなる。 なによりその裏には愛された事実が残る。 父親の見えない厳しい愛に感謝し、母親の目に見える眼差しや温もりにも感謝する。 まるで陰陽どちらも大事なように。


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自分の幸せを選択することから逃げるのは、自我が強過ぎて、他人と比べて人目を気にし過ぎているから。

自分の幸せを選択することから逃げるのは、自我が強過ぎて、他人と比べて人目を気にし過ぎているから。 そうではなく、良心のために生きて、感謝して生きてゆくこと。 すると自分を認め、幸せから逃げなくなる。


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恵まれている上昇気流のときは、その有難さに気づかない。

恵まれている上昇気流のときは、その有難さに気づかない。 だが、いつかは斜陽となり消えると知っているから、この有難さを守りたくなる。 ほとんどの正攻法、成功法ではそうはならず、限られた人たちのみであると気づきはじめる。 だから自分だけは特別な道でなくてはならないと義務感で考え続ける。 与えられるほど、守られるほど、助けられるほど、美しく甘美であるほど、試練から逃げる特別意識と甘えに変わる。 やがて自他共に比較することを覚えると、比較による優越感も生まれる。 それは慢心と自我の増大を生むが、同時に自分では成していないことへの不安と後ろめたさと焦りを感じはじめる。 斜陽になる将来を見て、自分で盛り返すにはと調べて考えるうち、それがいかに有難いかを知る。 やがて、真にそれを安定して得た者たちは結果としてそうなったのであり、目先の仕事を愛していて、役割に応じて実現したものだと知る。 では何が彼らをそうさせたのか? それは無私と大欲から来る最善最大の貢献の結果が返ってきたに過ぎないと知る。 だが恵まれているから有難いと思うなら、それは損得感情でしかない。 彼らは最初から恵まれていたこともあれば、そうでないこともあった。 道中で仕切り直しをすることもあった。 それはいつも、小さな目先の大切なことのために、懸命に、無私の大欲で、最善最大を尽くしたに過ぎない。 そしてそのぶん、負の遺産を背負う。 そしてそれを乗り越えることにも、無私の大欲で、最善最大を尽くす。 だから恵まれなくても有難さは変わらない。 小さな目先の大切なことだからこそ、儚く、大切で、有難い。 小さな目先ほど大切にして感謝すること。 その命を多く生かせば、多くから感謝されるのは道理となる。


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憎く赦せない存在もあるだろう。

憎く赦せない存在もあるだろう。 でもせっかく、神の命を生きる機会を与えられた、有り難く貴重な人生。 それを大事に大切に感謝して、最高とするために。 憎く赦せない存在に明け渡すのではなく、そんな自分を生き切るために。 愛と赦しで生きる道を自分は選択しよう。 全ては自分次第の自分事であり、他の存在の事ではない。 しかしほんとうは、自他の分離はなく、そんな全ての自他の悪い部分のために生きるのではなく、全ての自他にとって同じ1つである良心のための事。 自他がいくら良心を隠す自我に隠されていようとも、その自我が良心から離れるほど、違うほど、反対であるほど、良心は全くの別物であることがわかるという仕組み。 だから、全ての自他の良心を同じ1つという事実を、愛して赦すこと。 これが他人事ではなく、自分次第の自分事。 そして、そう選択するのもまた自我。







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自己責任とは、自分1人ではない。

自己責任とは、自分1人ではない。 なぜなら物事は一人では起こせない、すべての縁起で起きている。 ほんとうの自己責任とは、他人も自己の一部、世界を分け隔てなく自己として見なければならない。 問題に対処するためには、すべてをテーブルに出す。 まず自分から。 すると当然、足りなくなる。 そこから他人や、その他の要素を洗い出す。 そうして問題となっている物事を正しく理解し、対処して、学び、成長する。 自分と他人の関わり度合いを静観して、バランスを良くする。 だがそれらすべてもまた自分が選び決めたこと。 正しい自己責任によって、自他を平等に愛し、慰め、叱り、必要とあらば戦い、厳しくなり、とできる。 正義とはそこにある。 良心もそこにある。


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その場にいる先輩が自分の未来というのは、奪う人の発想。

その場にいる先輩が自分の未来というのは、奪う人の発想。 生み出す人はその場を発展させ、みんなのために貢献し、自分は一番最後という人。 その先輩をも変えうる人。 物欲のみを目指さず、嘘や誤魔化しのない貢献を念頭に動く。 すると受け取るものは最大へと成長してゆく。



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想定とは、内容のわからない未知のため、その内容量分の器を確保すること。

想定とは、内容のわからない未知のため、その内容量分の器を確保すること。 経験から内容を予測はできても、未来は常に白紙であるため、全てはわからない。 そのため、内容量で想定を進めることが好ましい。 想定しないのは自分が万能で成長が不要だという奢りである。 生かされている限り、それは無い。


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その職種としての能力を測るには、論理的かどうかを見る。

その職種としての能力を測るには、論理的かどうかを見る。 それは働き方、仕事への姿勢、すべての誠意。 これは、すべての職種にも言える。 つまり能力の高い低いは問題ではない。 誠意があれば、あとからついてくる。 とんなに天才でも仕事への活かし方が悪ければそれは害の多い無用の長物。