恵まれている上昇気流のときは、その有難さに気づかない。
だが、いつかは斜陽となり消えると知っているから、この有難さを守りたくなる。
ほとんどの正攻法、成功法ではそうはならず、限られた人たちのみであると気づきはじめる。
だから自分だけは特別な道でなくてはならないと義務感で考え続ける。
与えられるほど、守られるほど、助けられるほど、美しく甘美であるほど、試練から逃げる特別意識と甘えに変わる。
やがて自他共に比較することを覚えると、比較による優越感も生まれる。
それは慢心と自我の増大を生むが、同時に自分では成していないことへの不安と後ろめたさと焦りを感じはじめる。
斜陽になる将来を見て、自分で盛り返すにはと調べて考えるうち、それがいかに有難いかを知る。
やがて、真にそれを安定して得た者たちは結果としてそうなったのであり、目先の仕事を愛していて、役割に応じて実現したものだと知る。
では何が彼らをそうさせたのか?
それは無私と大欲から来る最善最大の貢献の結果が返ってきたに過ぎないと知る。
だが恵まれているから有難いと思うなら、それは損得感情でしかない。
彼らは最初から恵まれていたこともあれば、そうでないこともあった。
道中で仕切り直しをすることもあった。
それはいつも、小さな目先の大切なことのために、懸命に、無私の大欲で、最善最大を尽くしたに過ぎない。
そしてそのぶん、負の遺産を背負う。
そしてそれを乗り越えることにも、無私の大欲で、最善最大を尽くす。
だから恵まれなくても有難さは変わらない。
小さな目先の大切なことだからこそ、儚く、大切で、有難い。
小さな目先ほど大切にして感謝すること。
その命を多く生かせば、多くから感謝されるのは道理となる。