神頼みして願いを叶えたいのなら、そもそも神頼みするような者の願いを叶えることが良いことだろうか? それでも叶えたいのなら、それは後で失い、もともとの良さも失うだろう。 真に良いものを与えられるのは、そんな者とは真逆。
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どんな仕事でも頑張る努力をしていると、好きなことを頑張るとき客観的になる力が身に付き、そちらもうまくいく。
どんな仕事でも頑張る努力をしていると、好きなことを頑張るとき客観的になる力が身に付き、そちらもうまくいく。 好きなことをうまくできないことで苦しまずに済む。
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自分の変化を通じて世界に変化は与えられる。
自分の変化を通じて世界に変化は与えられる。 良い変化を心がけること。
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謝罪の言葉が多い人は、それだけの多くの過ちをおかしているから。
謝罪の言葉が多い人は、それだけの多くの過ちをおかしているから。 謝る前に反省して正すことが大事。 謝罪すればするほど、他者を妨害するだけ。
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奴隷を頼れる存在と考えて丁重に敬意と礼節をはらう者はいない。
奴隷を頼れる存在と考えて丁重に敬意と礼節をはらう者はいない。 パートナーでなければ、関わりあう意味はない。 その関係はすでに斜陽。 活かし合わないから。 目上だからと盲目的に従えば良心を損なう。 目下だからと尊重しないのも同じこと。 上下関係のお互いの信頼や忠誠は、横も含めて考えないと失敗する。 受け継ぐ流れは上下だが、関係性は横である。
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失うのが怖いなら、その物事に感謝して養生といたわりを第一にすること。
失うのが怖いなら、その物事に感謝して養生といたわりを第一にすること。 もし執着すれば、むさぼり不健康に損なうことになる。
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実績は妄想の行動を防ぐことはない。
実績は妄想の行動を防ぐことはない。 妄想の行動を防ぐのは自分の良心のみ。 他人の良心や、自他の実績に自分をの良心を明け渡してはならない。
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自分にこだわれば、自分を大きくしようとする。
自分にこだわれば、自分を大きくしようとする。 世界がすでに極大に大きいと知れば、自分を大きくする必要はない。 その大きさに任せる。
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大きな危機をうったえる何かに出会ったら、ほんとうの危機に気をつけよう。
大きな危機をうったえる何かに出会ったら、ほんとうの危機に気をつけよう。 それは小さな奇跡を見落とす危機である。 すべては小さく儚く、それだけに有り難く、大きな奇跡でもある。
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生まれた時のさだめは、変化をするほど離れる。
生まれた時のさだめは、変化をするほど離れる。 多くと関わるほど、離れる。 だがほんとうに多くと関わると、変わらないさだめに気がつく。 しかし多くに関わればこそ、そのさだめもまた他と変わらず、いつかは去ってゆく、手放されてゆく、永遠ではないことに気がつく。 おかえしするものであることに気がつく。 かけがえなく有難いご縁だったと気がつく。 執着せず手放しで、同時に愛する。 愛とは何かを知る。
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人はどんな物事や相手にも依存する。
人はどんな物事や相手にも依存する。 どんな力や実績や正しさを誇ろうとも、完璧などない。 それを誇れば周囲は依存しはじめ、完璧さから遠ざかる。 完璧ではない者たちが集う。 つまり、誇らしい人も完璧ではない。 自分ができていることについては完璧でも、できていないことについては違う。 それが何かは人それぞれ違う。 優れた何かの良い面からは学ぶといい。 だがその引き換えに自分の良心や本心よりも、その物事や相手の言い分を優先してはならない。 全ては学び成長していることを忘れてはならない。 どのような場合も良心の中心の主人公は自分であって、他者ではない。 そして、人に優劣や善悪はない。 誇るものは優劣や善悪をつけたがり、他者に自身が劣る悪だと自信を失わせ、自分の配下に置きたがる。 そうなれば両者ともに他者への貢献もできない。 良心や本心を見失い嘘をつく自分が他者をだますのだから、貢献にはならない。
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相手に欠点を感じたり、不足を感じたら、そこについては自分が補うため行為する。
相手に欠点を感じたり、不足を感じたら、そこについては自分が補うため行為する。 相手にできないことは自分がしなさいというお知らせだと思って。 そこを相手に信じて任せてしまうと、誰もそこを補おうとしなくなる。 そうして暗い穴に、片付かない欠点や不足が積み上がってゆく。 それが火種となって多くの問題が燃え出す。 これがわからないうちは、自分の欠点や不足のぶんだけ自分以外の誰かが傷つき倒れて成り立っているという奪う一方の不徳に気づかないか、認めたがらない。
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良いところ、悪いところは、同じもので、活かし方によって変わる。それを良い形で出すには、文字通り、良心が大切。
良いところ、悪いところは、同じもので、活かし方によって変わる。それを良い形で出すには、文字通り、良心が大切。 失敗するとき、いつも良心が咎めたところが混じっている。 これを、やらなければと、がまんして、やってしまえば、やらないほうがよかった結果となる。 継続は良心ですが、どんなことにも欲がからみます。ほんの少し良心が咎めるけど妥協する、それが失敗へと向かわせる。 つまり良心の妥協は、良い結果にはつながらない。たしかに経験しなければわからないこともある。ですが最初から私たちには良心がある。それは経験するしないとは別にある。 どの人や家や会社や国にも、仕事にも政治にも、良いところ、悪いところ、ある。子孫に受け継ぐこと、手放して終わらせること。良い習慣、悪しき習慣。両方が、混ざり合っている。 違うからこそ、補い合える、学べるものがある。それをつなぐのが、ご縁をつなぐ両方のお互いの役割だ。 失敗は、良心を外に置くこと。良心と自我の違いがわからず、自信がないということ。 それで良心を外から学ぼうとするが、がそうして信じた人や仲間のことも、次第に、しがらみ、義理、などのため、嘘とわかっていても信じるようになる。けっきょく自分の良心を磨くしかないことがわかる。 ですがこうしたことを教えてくれる人もまた、外にしかいない。外から学ぶとき、その人の言うことに良心が咎めるときは、それも人間で不完全だから仕方ないのか、単に言いなりにして従わせたい嘘なのかを、見極めること。 そんないろんな右往左往のなか、あなたを愛してくれて、支え続けてくれる人がいる。その人にいつか報いたいと、躍起になる程、失敗が増えていく。余裕がなく、相手の余裕を奪い、それによって失敗する相手を責めるようになる。 いつか優しく平和な日々をプレゼントしたい、と夢見たのが、真逆になっていく。 その過程に悪く言われる至らない点はたくさんある、人間みんな至らない点はたくさんある。 大切なことは、自分から動いて、反省して改善して向上するかどうか。
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与えてもらって学べて感謝した、だから今度は与えたい。
与えてもらって学べて感謝した、だから今度は与えたい。 物足りなくてもっと欲しいが得られない、だから他人にも受け取って欲しい。 さて良心とは、どちらが人に何かを与える良い行いだと見分けるだろうか。
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生かす力とは、生きてと祈り願い添う力。
生かす力とは、生きてと祈り願い添う力。 親兄弟、親戚や伴侶や友人。 その根っこで全ては繋がっている。