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他者の喜びを否定する節約は、独善が他者を支配し、他者を善くするものとはならない。

他者の喜びを否定する節約は、独善が他者を支配し、他者を善くするものとはならない。 にもかかわらず信じさせ賛美させることが自主的な追従と思い込ませる支配の力となる。 それによって世にもたらすものが真に人のためかは疑わしい。 毒を売るものは毒を飲まない。 毒を飲むことしか喜びはないと誤解し、毒となる喜びしか知らない。 善行を自慢するする者は慢心のかたまり。 その言動は裏に善を隠すものを持つ。 そのためには善と錯覚させる言動を必要とする。




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敵を探して自分の正しさを探すかぎり、自分を生きず、人生を無駄にする。

敵を探して自分の正しさを探すかぎり、自分を生きず、人生を無駄にする。 敵も味方も自分も同じ人であり、敵の過ちは自分にもありえること。 その正しさは間違いがあり、嘘があり、無理があり、愛と良心を忘れさせる。 こじれて、やがてそれは自分を生きられないことの恨みとなる。 その恨みをぶつける敵を探して、悪循環となる。


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人が自我の塊で傲慢で未熟で嘘つきで間違いだらけとわかったから、どうだというのだ。

人が自我の塊で傲慢で未熟で嘘つきで間違いだらけとわかったから、どうだというのだ。 それでも愛さずにはいられないことと、その愛に応えるお互いの心のみを見られればそれが全てではないか。 何のためにこの、あっという間に終わる人生を授かったのか。 完璧になどなれはせず、しかしその中にある愛の主人は最初から完璧。 それと出会い、それを見合う生き方をするために。 そのとき傲慢や未熟や嘘や間違いは、乗り越えられて、愛のための試練だったことになる。 完璧になるために乗り越えるのではない。 完璧になるため乗り越えるなら、この世の全ての傲慢や未熟嘘や間違いを無限に生きなくてはならないが、それはできないこと。