個人の力や資産の大きさは真実の根拠にはならない。
その力を、大勢で成し遂げて、大勢が食べてゆけるように展開できる力ならば、それは誰もが学び実践すれば効果を出せる知識と知恵、多様性が生かされる人間性、といった真実がある。
個人を根拠にした知識や知恵は、ごく稀の例外則で成り立つ。
例外則とは、無自覚のままである。
展開ができないし、学べず、実践も出来ない。
大勢に伝えても効果を出せるのは稀な例であり、真実の根拠にはならない。
大勢から集金するための宣伝広告塔にはなる。
そのようにして広告塔を使って人を集める者に近づいてはならない。
なぜならその広告に憧れたところで、それを身につけることはできないし、そもそも売り物にしたい物事は別に隠して用意されている。
そうして裏で用意して、人を集めて物事を教えてお金を取る者に、近づいてはならない。
本当なら、物事を教えるのはその展開を助けてほしいからであり、むしろ給金して教えるものである。
さらに、それを土台したうえで、特殊技能は育ってゆく。
その土台で育たず、その土台では教えられない特殊技能の教育は、外部から取り込む、また外部に委託するものであり、これの給金は、やはり助けを求める側が、学ぶものにかわって肩代わりするものである。
これは無自覚の例外則とは異なるが、無自覚の者はこの基本的な違いを、同一視してしまう。
無自覚の例外即で資産を築いた者は、無自覚に人柱を糧とする。
個人の資産を自慢して力を見せつける者は、奪い続ける盗人であり、近づいてはならない。