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過去を振り返れば、すべては決まっていたと思える。

過去を振り返れば、すべては決まっていたと思える。
だがそれは、人の認知の範囲内で見た場合、そうなる。

不可思議の、人違いのことは、わからない。

それがあるから、生かされ、ここまでの出来事が為されてきた。

そしてその、不可思議に働きかけるのは、自分の内側にもある。

そしてこへ働きかけるものとは、自分の姿勢や良心。

それは、認知しているものへの働きかけだけではなく、認知の外にもあることまで感謝をおくる、姿勢。

自我ではない別の姿勢。

もともとの姿勢。

それをいかに気付けるか、思い出せるか、に人の成長と意識の拡大は比例する。

だが究極的に、すべてはわからない。個人が社会のすべてを生み出したのではないのと同じように。

たしかに個人の思いは社会に反映される。だがそれは、個人という自我をこえて、社会にただ想いをはせて、見聞きすること、新しくやってきた、想定外の善悪の両方に、ただ感謝することにある。

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