理屈で間違っていないことは、その狭さの中で成り立つのみ。
目に見えない世界を扱う宗教では、それが顕著である。
大切なのであることは、その狭さの外にある。
そこに足りないこと、見落としていること、それらが損なわせていることがある。
その理屈の外とは、より普遍的なものである。
理屈は、それを意味無しと否定する狭さに籠る。
その狭さを普遍であると誤解する。
近いがそれは半解で終わる。
そこに自我の依存心がある。
永遠と普遍は形にしようとすれば必ず有限であり、また様々な道があり、どの道も同じである。
しかし自我は、それを見失わせる。
すべての宗教はみな同じである。
自身の宗教の本質を理解しないものが、それを見失い、理屈に走る。
何かを損なって行わずにいた自分を省みたくない自我が、それを否定させる。
依存心は、そのようにして、大切なことを損なう。
自我のわかりやすい習性がそこにある。
どんな崇高な理屈も、自我のために使えば道を狭める瓦礫になる。