自分たちの道を説くのは、大切なことを伝えたり与えるためであって、他の道を否定したり隠すためではない。
それは自我のために道を利用している。
その道が救いになり実践的であると信じて、説いていく、慈悲と慈愛から、そうしたいと、それだけのもの。
目に見えない知らないものを無いものを否定するのでも無い。
見えず知れずのものだからこそ加減を忘れて都合よく依存せず、注意して扱う必要があるということ。
依存の自我から抜けるための態度として。
否定するのは自身が別なものに依存していることからこ自我のための敵対心であり不注意であると知ること。