過去の吉凶混在を明らかにして釈明することは意味がない。 大切なのはその過去の結果として今とこれからを吉にできるよう行動することにある。 感謝して学ぶ、それしかない。 今この瞬間に傷ついたとしても、その次の今からすれば、それはすでに過 過去となる。 とらわれることなく、反面教師にするか、邪推を捨てて見方を変えるか、因果応報が働いていて果として味わえる奇跡に頭を垂れるしかない。 それゆえに自身の行動を変えればそれは自然と次の果を生み出す。 それが物事を変えて行く。 過去に囚われて報復することに意味はない。 それは同じことを繰り返して、たとえ相手に非があろうとも、次にはその非を自分が行うことになる。 であればその非のある行為を焼き尽くすには、自分がその過去にとらわれなきことで、向上する以外にない。 今そこに感謝を置いて行くしかない。 そのように生きることができるきせきを与えられたその身の限定の命を感謝をすればこそ、非を責めるような心は今この常々の感謝で焼き尽くす以外にない。 感謝の対象が研ぎ澄まされ、明確になり、ごまかしなく、真っ当であればあるほど、あますところなく焼き尽くされる。
月別: 2018年4月
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そんなはずはないというところに反省点がある。
そんなはずはないというところに反省点がある。 そうでなければそもそも反省や学びは存在しない。
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分け隔てない感謝は、邪推や疑いや責める心ではできない。
分け隔てない感謝は、邪推や疑いや責める心ではできない。 感謝をすれば、その心は立ち戻ってゆく。
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どんなことも最終的には目に見えない何かを生み出す。
どんなことも最終的には目に見えない何かを生み出す。 独自性にこだわりすぎても、真似るばかりでも、形ばかりで、このことを、見失う。
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真理や真実を知ることに意味はない。
真理や真実を知ることに意味はない。 何故ならそれは知るためにあるものではないし、知ることで受け取るものでもない。 真理や真実は最初からあり、それは生かされている感謝にある。
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人を依存させるのは、甘やかすことと、見下すこと。
人を依存させるのは、甘やかすことと、見下すこと。 甘やかせば人は慢心して、飽きればその場を離れさせ人生から逃げ回ることに依存する。 見下せば、人は誠実さ、真面目さ、良心でもって、それを挽回して成長しなければと、その場に嫌でも留まり、偉ぶり天の声を偽る者に依存するようになる。 人生から引きずり下ろしてしまう。 逃げ回させもせず、引きずり下ろしもしない接し方とは、奉仕すること。 そして奉仕が現実的に効果すること。 そしてその現実的な効果とは、簡単で当たり前で、小さなこと。
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失敗や挫折の経験がない者は、正誤の間を知らない。
失敗や挫折の経験がない者は、正誤の間を知らない。 自分が正しく他者が間違いだと信じてやまない。 他者の成長による強さと自主性を信じず、押し付けしか知らない。 弱い点は目を逸らして逃げることしか知らない。
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お互いを求め合うのは共依存。
お互いを求め合うのは共依存。 お互いを助け合うのは愛。
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美しい今は行動の結果。
美しい今は行動の結果。 執着したり失うことを恐れて守るのではなく、最善の行動をすること。 そのうえの変化や結果を感謝して愛すること。 失いもするし、得られるものもある。
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人生の主体性は、その者の道で発揮される。
人生の主体性は、その者の道で発揮される。 ひとつの道で奪い合うものではない。
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物事の急変は、あらゆる事象の重なりが表立った結果。
物事の急変は、あらゆる事象の重なりが表立った結果。 見えないところで日々、急変は起きている。 意図して都合よく起こすものではない。 無理に起こすものでもない。 見えないからと焦ることでもない。 常に表立った急変を生きる者は、他者が遅く見えるだろうが、それは裏を欠いた視点。 未熟でしかない。
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居場所がない疎外感を感じるなら、まず自分を反省すること。
居場所がない疎外感を感じるなら、まず自分を反省すること。 自我が強すぎて他者の親切や気遣いを拒んではいないか。 目の前の課題を選り好みせず受け入れる真剣さに欠けてはいないか。 素直に学べず成長から逃げてはいないか。 つまりは自分から世界を拒んで勝手に孤立した気分を勘違いしてはいないか。
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明け渡すときは、自分の良心に対してのみ。
明け渡すときは、自分の良心に対してのみ。 いついかなるときも、外部の何かに明け渡してはならない。 現実逃避をすれば一時は楽だが、後で事態は悪化してゆく。 良心に明け渡すときは、辛いもの。 だがそれは手離す辛さであり、外部のに何かによって課せられる圧力とは異なる。 この圧力を人生の辛さと誤解してはならない。 試練はすでに来ている。 その試練を弾き飛ばすために圧力をかける外部の何かは、利用できるようにするための圧力をかけているだけ。 試練を試練として万事を赦し愛する者だけが手本となる。 そしてそれは晩年にならなければわからない。 それまで試練は続くからだ。
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感謝とは義務や執着で行うものではない。
感謝とは義務や執着で行うものではない。 手放しつつも忘れないこと。 そのうえで最善を尽くすこと。 そのように生きる姿を見せること。
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嫌われたくないから善行するのではない。
嫌われたくないから善行するのではない。 嫌われてもいいから善行するのだ。 人を愛すればこそとはそのようなものだ。 親心とはそのようなものだ。