未分類

砂漠の水売りは、偶発的であり、才覚では無いし、優秀さでもないし、継続もできない。

砂漠の水売りは、偶発的であり、才覚では無いし、優秀さでもないし、継続もできない。 水を持つものが意図的に砂漠まで水売りに行くこと自体が困難であり、偶発的な条件下でなければ、まず成立しない。 それは自分の才覚ではなく、そこにある周囲の力の助けがもたらした、偶発的な賜物。 偶もまた必然。 それによって周囲に恩返しすることで、成り立つこと。 自分の才覚とは、水売りに加えて他の要素も兼ね揃えているもの。 今はその役割の場に立っているにすぎないということ。 そこで才覚を発揮するには、求められることに努めること。 それは水売り以外のことをふんだんに学び、成長し、実践すること。 それが才覚や優秀さを発揮させる。 才覚あれば、社会のためなら水売りではなく水源を見つけて水引をする。 そのとき水売りは取って代わられる。 抵抗すれば他者の足を引っ張ることになってゆく。 偶発的な優位性が、周囲にとっての優位性よりも、悪影響に傾いてゆく。 社会はそれを見ている。 性根が明るみになれば、偶発的なことによる仮初めの評価は軽く消し飛ぶ。 伸び代のなさ、許容量の小ささの低さを判定され、代わりがいくらでもいることが明るみになる。


未分類

何かの欠点を挙げるなら、利点も挙げること。

何かの欠点を挙げるなら、利点も挙げること。 なぜそれが重宝されるかも挙げること。 それができなければ客観性が無いため、挙げている欠点は見誤りと言える。 悪い時だけを拾い上げる、偏っている。 新たに学びたく無いから否定する、欠点も長所も見ようとしない盲目となっている。 それだけのこと。



未分類

仕事というのは、人生の、ほんの小さな一部のことでしかない。

仕事というのは、人生の、ほんの小さな一部のことでしかない。 仕事とは、そこにとらわれて完璧にすることではない。 仕事とは、それが果たすべき働きや、求められた働きを、満たすようにすること。 子供に大人の成果は求められない。 逆も言えること。 段階によって働きを変えてゆくようにすること。 それが仕事。 仕事以外も同じこと。 仕事をする自分自身も完璧ではない。 全ては成長の最中にある。 これがわらかないうちは、半人前のまま。 子供でも役立つ時はある、だが大人の社会では成り立ち切らない。 子供に大人が依存しないような社会にすること。 まだ早いという言葉を知ること。 それでも働かざるを得ない、大人になりきれない者は、責任を果たしきれない。 いかに他より才があるものがあっても、そこはみなそれぞれ違う点で、同じ。 さらに、上には上がいるし、たまたまその簡単なことを誰も修練していないだけ。 その他者に他を任せて逃れておけば、その、修練に携われない。 そうして自分の立場を守っているだけ。 簡単に追い抜かれる。 あるいは不要に難しくなっていて、自分しか理解できないような状態にあるだけ。 またはそもそもが古くなりすでに不要なことを、無理に使っているだけ。 それは優秀さとは関係がないこと。 さて自分は、これに照らし合わせて、どうか。 小さなことで慢心していないか、同じように慢心する子供を誇大評価して、 依存していないか。 その慢心と依存を抜け出すことが、成長の一歩。 成長なくして改善なし。


未分類

たいていの仕事に天才は必要なく、努力すれば誰でもやれる。

たいていの仕事に天才は必要なく、努力すれば誰でもやれる。 神の愛に沿うかのように、社会への愛の働きかけ、貢献、献身、これらがあれば、どんなことも天職になる。 人は様々な側面を持っており、仕事という人生のほんの一部の範囲のことであれば、どんな側面でも育てられる。 ただし、そこに必要性、必然性、求められること、沿えることがあるかで違ってくる。 独りよがりのことは、いかに天才でも、天職にはできない。


未分類

自分一人のためと、社会のためは、正反対。

自分一人のためと、社会のためは、正反対。 一人の好みの基準に、真実や真理はない。 社会にその不満をぶつけても、変わってはくれない。 社会を見下しても、自分の認識がそのくらい低くて狭いだけでしかない。 自分一人のためのことは、優秀でもなんでもない。 自分の都合のための悪巧みの悪知恵でしかない。 それによって幾ばくかの利は得られても、より大きなものを得られない。 その幾ばくかの利がたまたま大きなことの根幹に関われば、いよいよその改善は望みが断たれる。 それは社会のための損害としては、一人分の損害でしかない。 代わりはいくらでも見つかる。 大きなことが崩れても、また産み出せばいいだけのこと。 その二度めに、自分のことだけ考えるものは呼ばれることはない。 いくら優れていても、さらに上はいくらでもいる。 また、他の面では必ず劣る。 お互いの優れた面を学び合うこと。 それを否定する者は未来には不要。 過去に置き去りで構わないとされる。 常に今のこの世界において、そこには正当性や真実や真理、存在理由が欠けてゆく。



未分類

ちぎれんばかりに激しくなびく旗に、自分を見る。

ちぎれんばかりに激しくなびく旗に、自分を見る。 風の緩急で激しくもゆるやかにもなる。 やわらかい旗の布が、板のように張り、人を跳ね飛ばしもする。 それでいて風だけには素直、風向きに従って向きを変えて、風の渦巻きに従って自在に形も変える。 なのに旗に描かれたものはけして崩れない。 しかしそれは借り物の文句や、押し付けられたものかもしれない。 激しく見えて、まるで自分という実態がない。 だがそれはそこに存在している。 存在を与えられている。 まるで命のように。 その姿に自分を見て、なにも例えようがない、感謝が湧くのみ。








未分類

新たな知恵や知識を学ぼうとせず、他者の知恵や知識の欠点ばかり探そうとする者は、慢心の塊。

新たな知恵や知識を学ぼうとせず、他者の知恵や知識の欠点ばかり探そうとする者は、慢心の塊。 少しばかりの利益を与えて、多くの利益をたくらむ、自己中心的な者。 結果として常に害悪をもたらすため、徐々に遠ざけること。