未分類

富とは糧であり、使われ消えゆくもの。

富とは糧であり、使われ消えゆくもの。 だから万事に備えて蓄える。 永遠の豊かさを保持するためではない。 それは命の本質と異なる。 命の感謝を忘れた自我の有様。 そんな勘違いをすると、糧を生み出さず奴隷のように与えられる受け身か、糧を生み出さず搾取する奴隷商人となる。 生み出すという第三の道に、本来がある。 その命の輝きに属するといい。



未分類

批判や拒絶は、対象を100%の悪とみなすこと。

批判や拒絶は、対象を100%の悪とみなすこと。 たとえ対象が悪しき過ちだとしても、浅い理解や経験で批判や拒絶をしてはならない。 さもないといざ我が身というとき、そこから身を守れず、また隣人の身というとき、助言も提言も救いもできない。 そうして後になって行うことは、やっぱり批判や拒絶しかなくなる。 どんなことも経験として善転できるものとできなくなる。 いざほんとうの挑戦や成長の機会が来ても、手にすることはできない。 目の前に悪があるからと、それについての批判や拒絶によって、自分について盲目となってはならない。 すでにその盲目が、自分に別な悪への盲信をさせていることに気づいていないのだから。



未分類

どんなに愚かで分不相応でも、例外的な成功例はある。

どんなに愚かで分不相応でも、例外的な成功例はある。 その裏では、その稀のほかに数え切れないほどの失敗例がある。 誰かの実績例を参考にしないこと。 自己判断と良心で考えることを放棄してはならない。 それをさせる者があれば、それはゼロサムゲームで多くの失敗から自分が利するために、稀の成功例を餌にするのとを常套手段にしている。





未分類

説得は不要。

説得は不要。 いずれその道理のとおりのところへ行く。 そのときその道理による変化と成果物を与えられる。 そのとき気づき学ぶ。 そして受け取るべきものを受け取る。 そのとき受け渡せるように、また円滑にするために、背中からの介助のように、良心で生きること。 批判と無理な強要は不要。 愛されたい、欲しい、物足りない、という貧しい誤解を手放すこと。 そして言うべきことは言うこと。




未分類

想像するなら全ての歯車を想定しなくてはならず、なおかつ見落としや過ちは多く、正しさはない。

想像するなら全ての歯車を想定しなくてはならず、なおかつ見落としや過ちは多く、正しさはない。 だが試行錯誤と学びと挑戦の経験は、断片的であっても、合間に噛み合う歯車を肌感覚で知ることになる。 これが真の想像だとも言える。 なぜなら見落としや過ちがあることや、正しさなどないことも、あらかじめ想像しているからだ。 そのときはじめて想像することが役に立つ。 未熟でいい、完璧でなくてもいい、進め。 必要なことはそのとき学ぶ縁に預かり、そのとき謙虚に学ぶのみ。 人は全てを学べはしないのだから。



未分類

手段を選ばないのなら、どんな手を使って、ではなく、どの手を使って。

手段を選ばないのなら、どんな手を使って、ではなく、どの手を使って。 どんな手をという時点で、相手の術中で手段を選ばれている。 というより、自分の手段を殺されて、相手の手段ばかり輝いて見えて自信を奪われる。 自分の手段を忘れてはいけない。