想像するなら全ての歯車を想定しなくてはならず、なおかつ見落としや過ちは多く、正しさはない。
だが試行錯誤と学びと挑戦の経験は、断片的であっても、合間に噛み合う歯車を肌感覚で知ることになる。
これが真の想像だとも言える。
なぜなら見落としや過ちがあることや、正しさなどないことも、あらかじめ想像しているからだ。
そのときはじめて想像することが役に立つ。
未熟でいい、完璧でなくてもいい、進め。
必要なことはそのとき学ぶ縁に預かり、そのとき謙虚に学ぶのみ。
人は全てを学べはしないのだから。